仁木 イワノ(読み)ニキ イワノ

20世紀日本人名事典 「仁木 イワノ」の解説

仁木 イワノ
ニキ イワノ

大正・昭和期の看護婦 小松島赤十字病院看護部長。



生年
明治30(1897)年

没年
昭和47(1972)年11月13日

出生地
徳島県名西郡高川原村

学歴〔年〕
香川県日赤支部病院救護看護婦養成所卒

主な受賞名〔年〕
黄綬褒章〔昭和39年〕,勲五等宝冠章〔昭和40年〕,ナイチンゲール記章(第21回)〔昭和42年〕

経歴
早くに父と死別し、医師であった母方祖父に育てられる。看護婦を志して香川県日赤支部病院救護看護婦養成所に学び、卒業後は京都日赤支部の外勤部を経て大正11年に帰郷し、若林病院の婦長となった。日中戦争が勃発すると、病院船傷病兵の看護に従事。その後、いったん内地に戻るが、昭和16年には再び召集され、ハルビンの陸軍病院に勤務した。太平洋戦争末期の昭和19年に帰国して若林病院に復帰。徳島空襲の際には患者の避難に尽力し、被害を最小限に食い止めた。戦後は国立病院の総看護婦長や徳島大学付属病院総婦長・小松島赤十字病院看護婦部長などを歴任し、44年に71歳で退職。この間、昭和39年に黄綬褒章、42年に第21回ナイチンゲール記章を授与された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仁木 イワノ」の解説

仁木イワノ にき-イワノ

1897-1972 大正-昭和時代の看護婦。
明治30年生まれ。日赤京都支部,徳島の若林病院,日中戦争・第二次大戦中は病院船やハルビン陸軍病院などに勤務。戦後,国立徳島病院,徳島大医学部付属病院などで総婦長をつとめた。昭和42年ナイチンゲール記章。昭和47年11月13日死去。75歳。徳島県出身。日赤香川県支部病院救護看護婦養成所卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例