北平山新田村(読み)きたひらやましんでんむら

日本歴史地名大系 「北平山新田村」の解説

北平山新田村
きたひらやましんでんむら

[現在地名]泉崎村北平山

北平山村の北東部、いずみ川の南岸にある。三方田地があり、東側は山である。天正一八年(一五九〇)から会津領、寛永四年(一六二七)以降白河藩領。結城白川氏滅亡により浪人となり、関和久せきわぐ村に住した熊田若狭介が開発したと伝える。若狭介は寛永元年(一六二四)その功により当地の庄屋となり、子孫伊右衛門のときに北平山村の庄屋も兼帯し、両村をよく教導し勧農貧民の保護にも努力したため、天明六年(一七八六)藩より褒賞を受け郷士の資格も与えられた(白河風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報