平野保(読み)ひらのほ

日本歴史地名大系 「平野保」の解説

平野保
ひらのほ

和名抄」に記される平野郷一帯を領域とする公領で、現新南陽市富田とんだの平野町をその遺名とする。

文治二年(一一八六)東大寺造営料として寄進された国衙領の一で、他の国衙ともども以後東大寺が領したが、大内氏一族に漸次押領されていった。東隣の富田保とともに、平野保は大内氏の一族陶氏が地頭職に補任されていたらしい。

室町時代の後期に入ると、国庁の目代を大内氏一族が独占し、国衙領を押領する状態となったが、東大寺の国衙領返還要求によって永正六年(一五〇九)にようやく三四ヵ所が還付された(実隆公記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報