成勝寺跡(読み)じようしようじあと

日本歴史地名大系 「成勝寺跡」の解説

成勝寺跡
じようしようじあと

京都市左京区岡崎円勝寺おかざきえんしようじ町北西部、同成勝寺せいしようじ町西部に位置した寺。ほぼ京都市勧業館の敷地にあたる。六勝りくしよう寺の一。跡地については「明月記」建暦二年(一二一二)一〇月四日条に「三条東行、延勝寺南門大路北行、件南門前東折、自成勝寺西二条尊勝寺南大門前東行」とみえ、押小路おしこうじ末を経て成勝寺の西を過ぎ、二条大路末の尊勝そんしよう寺南大門へ至る道程が記されており、南境が押小路末、西境が尊勝寺南大門、北境が二条大路末に面していたことを知る。東境は明らかではないが最勝さいしよう寺・円勝えんしよう(現左京区)と同規模の方一町とすれば、東面は広道(現岡崎通)から西二町の所と推定され、東西二町といわれる延勝えんしよう(現同区)と同規模と考えれば、これより東の広道より西一町の所が東境となる。昭和五一年(一九七六)に発掘調査が実施され、寺域の西境(隣接する延勝寺の東境)と思われる南北方向に走る溝が発見された。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

崇徳天皇の御願寺として創建され、保延五年(一一三九)一〇月二六日に落慶供養が行われた(百錬抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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