平安時代に京都の岡崎付近に建てられた6つの御願寺。すべて承久の乱などによって廃絶したが,6つともその寺名に「勝」の字をもっていた。
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平安末期,京都白河の地(現,京都市左京区岡崎)に建立された六つの御願寺(ごがんじ)。すべて〈勝〉の字がつくのでこの称がある。〈りくしょうじ〉ともいう。法勝(ほつしよう)寺,尊勝寺,最勝寺,円勝寺,成勝(じようしよう)寺,延勝寺の6寺。1075年(承保2)白河天皇の発願で法勝寺の造営が開始されて以後,1149年(久安5)延勝寺が落成するまで,白河親政・同院政・鳥羽院政期に,白河,堀河,鳥羽,崇徳(すとく),近衛の5天皇と鳥羽中宮待賢門院藤原璋子の6人の発願によって建立された。
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平安末期に京都東山岡崎付近に建てられた皇室の御願寺の総称。法勝寺・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺の六寺で、いずれも勝の字を含むことによる。りくしょうじ。
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平安時代末期に京都市東山区岡崎あたりに朝廷の御願寺(ごがんじ)として建てられた六か寺の総称で、法勝寺(ほっしょうじ)、尊勝(そんしょう)寺、最勝(さいしょう)寺、円勝(えんしょう)寺、成勝(じょうしょう)寺、延勝(えんしょう)寺をいう。仁和(にんな)寺のもとに属し、各寺に別当または執事を置き、いずれも寺域は広大で壮麗を極めたが、承久(じょうきゅう)、応仁(おうにん)などの兵乱によって破壊され、やがて廃絶した。(1)法勝寺 1075年(承保2)白河(しらかわ)天皇の御願で建立、1077年(承暦1)供養会(くようえ)が行われた。金堂、講堂、阿弥陀(あみだ)堂、九重塔などがあって堂舎の規模はもっとも壮大であったらしい。(2)尊勝寺 堀河(ほりかわ)天皇の御願にてなり、1102年(康和4)に供養会が行われた。(3)最勝寺 鳥羽(とば)天皇の御願寺として1118年(元永1)に供養会が行われた。(4)円勝寺 鳥羽天皇の皇后侍賢門院(たいけんもんいん)の御願にて建立、1128年(大治3)供養会を行った。(5)成勝寺
崇徳(すとく)天皇の御願にて建ち、1139年(保延5)供養会を行った。(6)延勝寺 近衛(このえ)天皇の御願によって、1149年(久安5)に供養会が行われた。
白河天皇の皇子覚行は初め法勝寺の検校(けんぎょう)となり、1099年(康和1)法親王(ほっしんのう)となったのが、法親王の称の最初である。1219年(承久1)に最勝寺をはじめとする四寺が焼失したことがあり、以後六寺はいずれも衰えていった。[瓜生津隆真]
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平安後期、京都市左京区岡崎の一帯にあった「勝」の字のつく六つの寺の総称。法勝寺・尊勝寺・円勝寺・最勝寺・成勝寺・延勝寺をいう。応仁・文明の乱により廃絶。ろくしょうじ。
平安末期、洛東白河(京都市左京区岡崎一帯)に相次いで建てられた六つの御願寺。すなわち、法勝寺・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺の六寺。いずれも寺号に勝の字がつくところからいう。いずれも中世、応仁の乱などの兵火によって廃滅した。
※山槐記‐治承三年(1179)一〇月三〇日「法務僧正房覚去比補二六勝寺権別当一、今日拝堂」
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平安末期,天皇・女院の発願で京都市東山区岡崎付近に建てられた6寺の総称
白河天皇の法勝寺,堀河天皇の尊勝寺,鳥羽天皇の最勝寺,待賢門院璋子の円勝寺,崇徳天皇の成勝 (じようしよう) 寺,近衛天皇の延勝寺の六つ。1077〜1150年にかけて建てられたが,鎌倉時代になると皆廃絶した。
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世界大百科事典内の六勝寺の言及
【六勝寺】より
…1959年以降発掘調査が実施されている。
[法勝寺]
六勝寺中最大で方4町,最も東に位置する(現,京都市動物園あたり)。白河天皇御願。…
※「六勝寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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