村角別符(読み)むらすみべつぷ

日本歴史地名大系 「村角別符」の解説

村角別符
むらすみべつぷ

わたり別符と同様に宮崎庄内の荒野を開発して成立した豊前宇佐宮領の庄園。宇佐大鏡によれば、宇佐宮に立券文を進めたのは国司海為隆であった。為隆は永承年中(一〇四六―五三)に宮崎庄を立券しており、その直後に当別符も成立したと考えられる。起請定田は三〇町で、長承年間(一一三二―三五)の検田目録では五一町八段三〇であった。所当例済物として重色米六〇石・軽色布六〇疋・田率綿二二両三朱を負担した。安元二年(一一七六)二月日の八幡宇佐宮符写(奈多八幡縁起私記)では六年に一度の宇佐宮行幸会の際、当別符は御服綿七屯・手作布一段・麻布二段・紫二斤・茜二斤・調布三段・紅花二両・空青六両・色革二枚・銅九両三分三朱を出すことを命じられている。建久図田帳には当別符の名はみえず、那珂郡うちとして竹崎たけざき別符や渡別符などとともに鷹居たかい別符四〇丁があり、弁済使は藤二(実名不詳)と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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