東子安村(読み)ひがしこやすむら

日本歴史地名大系 「東子安村」の解説

東子安村
ひがしこやすむら

[現在地名]神奈川区入江いりえ一―二丁目・子安台こやすだい一―二丁目・新子安しんこやす一―二丁目・子安通こやすどおり一―三丁目・神之木台かみのきだい神之木かみのき町など

東は生麦なまむぎ(現鶴見区)、西は神奈川宿・白旗しらはた村、北は西寺尾にしてらお村、南は海に接する。中世は子安郷に属し、正保国絵図に子安村、元禄国絵図には東子安・西子安・新宿しんじゆく村とみえ、この間に分村したと思われる。「風土記稿」は三村とも家・耕地などが入会っており、四至なども区別できないという。西子安村新宿村とともに東海道沿いにある。

聖教奥書(県史二)によれば、正応五年(一二九二)五月九日から「武蔵国子安之郷住人某之子安郷讃」が始められている。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「子安郷」がみえる。一六世紀前半と思われる年未詳二月二一日の遠山直景書状(県史三)には「小安郷」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報