横江 嘉純(読み)ヨコエ ヨシズミ

20世紀日本人名事典 「横江 嘉純」の解説

横江 嘉純
ヨコエ ヨシズミ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治20(1887)年5月3日

没年
昭和37(1962)年2月14日

出生地
富山県婦負郡保内村石戸

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校彫刻科〔明治39年〕卒,東京美術学校彫刻科〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝国美術院賞〔昭和2年〕「大乗」,日展文部大臣賞〔昭和26年〕「われらが生きる太陽(追慕の像)」

経歴
大正7年文展に「山番」が初入選、10年より帝展にも入選し、15年「望洋」が帝展特選、昭和2年には帝展無鑑査出品の「大乗」が帝国美術院賞を受賞。翌3年より無鑑査となり、4年審査員、新文展でも審査員を務めた。5〜7年及び11年に欧州各地を巡遊戦後も日展に出品し、26年参事、33年評議員となる。「秋山好古大将像」「ネール首相像」などの肖像彫刻の他、寓意的作品を得意とし、「断」「愛の像」(東京駅)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横江 嘉純」の解説

横江嘉純 よこえ-よしずみ

1887-1962 大正-昭和時代の彫刻家。
明治20年5月3日生まれ。大正7年文展に初入選。昭和3年「大乗」で帝国美術院賞。のち帝展,新文展,日展の審査員。寓意(ぐうい)的な作品を得意とした。作品に「われらが生きる太陽(追慕の像)」,東京駅前広場にある「愛の像」など。昭和37年2月14日死去。74歳。富山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例