牛頸窯跡群(読み)うしくびようせきぐん

日本歴史地名大系 「牛頸窯跡群」の解説

牛頸窯跡群
うしくびようせきぐん

大野城市南部の牛頸・上大利かみおおりを中心にして、太宰府市と春日市の一部を含む東西約四キロ、南北約四・六キロの範囲に分布する大須恵器窯跡群。窯跡の数は確認されているものだけでも三〇〇基を超え、そのうち約二八〇基以上が発掘調査されている。未確認の窯跡も相当数あることが予想されていて、兵庫県以西では最大の窯跡群である。開窯は六世紀中頃で、九世紀初めまで操業されたと考えられている。しかし終焉の時期については九世紀中頃まで下る可能性がある。

窯は花崗岩媒乱土をくりぬく地下式であるが、構造は時期によって変遷する。開窯当初の窯は胴部中央が膨らむが、六世紀末から七世紀初めにかけて胴の張らないほぼ均一の幅をもつ寸胴タイプに変わる。長さは一〇メートルを超える。また同時に排煙孔を三―四個開ける多孔式の煙道が採用される。宗像市稲元日焼原いなもとひやけばる遺跡一号窯跡は排煙孔を二孔もつが様相が異なっており、多孔式煙道は今のところ当窯跡群だけでみられるものである。窯はさらに七世紀後半に急に小型化し、長さが三―四メートルになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報