田結荘千里(読み)たゆいのしょう・ちさと

朝日日本歴史人物事典 「田結荘千里」の解説

田結荘千里

没年:明治29.3.28(1896)
生年:文化11(1814)
幕末の洋式兵学者,蘭学者大坂生まれ。諱は邦光,通称を斎治,千里は号。天保8(1837)年大塩平八郎の乱に連座して獄につながれた。許されたのち西洋画を学ぶため長崎に赴いたが,たまたま堂々たるオランダ船が港に入るのを見て,男子たるもの絵筆をとるべき期にあらずと筆を投げ捨て,品川藤兵衛に就いて蘭学を学び,次いで熊本に池部啓太を訪ねて洋式兵学を修得した。嘉永1(1848)年大坂に帰って洋式砲術を教える。啓太から伝えられた『万動理原・打着表』に『弾丸装薬二表用法』を合わせて『桑土蒭言』を刊行

(所荘吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田結荘千里」の解説

田結荘千里 たゆいのしょう-ちさと

1815-1896 江戸時代後期の砲術家
文化12年4月4日生まれ。師である大塩平八郎の乱に連座。のち肥後熊本で池部啓太に西洋砲術をまなぶ。嘉永(かえい)元年大坂にもどり砲術をおしえた。明治29年3月28日死去。82歳。大坂出身。名は邦光。通称は斉治。著作に「桑土蒭言(そうどすうげん)前編」など。

田結荘千里 たびのしょう-ちさと

たゆいのしょう-ちさと

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田結荘千里」の解説

田結荘 千里 (たゆいのしょう ちさと)

生年月日:1815年4月4日
江戸時代;明治時代の砲術家
1896年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android