野沢 語助(3代目)(読み)ノザワ ゴスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「野沢 語助(3代目)」の解説

野沢 語助(3代目)
ノザワ ゴスケ


職業
義太夫節三味線方

別名
前名=竹沢 龍作,野沢 吉之助,野沢 語息斎

生年月日
文政11年

出生地
播磨国加古川(兵庫県)

経歴
竹沢龍造門下。大阪に出て、円為という名で素人三味線を弾く。弘化4年竹本津賀太夫の松江興行の際、随行、竹沢龍作の名で初出演。嘉永元年には4代長門太夫と中国、四国を回った。その後3代目野沢吉兵衛に入門、野沢吉之助を襲名京都に住み、のち東京に出て名をあげ3代目語助を襲名した。一時語息斎の名を継いだが、語助に戻った。近世名人といわれ、東京義太夫界に貢献した。

没年月日
大正2年 2月3日 (1913年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢 語助(3代目)」の解説

野沢語助(3代) のざわ-ごすけ

1828-1913 江戸後期-大正時代浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
文政11年生まれ。義太夫節。3代野沢吉兵衛に入門し,野沢吉之助を名のる。京都から東京にうつって名声をあげ,3代語助を襲名。東京の義太夫発展のために尽力した。大正2年2月3日死去。86歳。大坂出身。本名は成瀬為三郎。初名は竹沢竜作。

野沢語助(2代) のざわ-ごすけ

1791-1868 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
寛政3年生まれ。義太夫節。初代語助の門弟。はじめ辰次郎を名のり,2代を襲名。名手評判がたかかった。慶応4年3月23日死去。78歳。号は語息斎。

野沢語助(初代) のざわ-ごすけ

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。初代野沢庄次郎の門弟として京都で修業し,のち江戸にうつって立三味線となる。名手の評判がたかかったといわれる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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