順光寺(読み)じゆんこうじ

日本歴史地名大系 「順光寺」の解説

順光寺
じゆんこうじ

[現在地名]久留米市日吉町

十間屋敷じつけんやしきにある真宗大谷派寺院(現仏教系単立)。山号は福永山。本尊阿弥陀如来。慶長年間(一五九六―一六一五)祐念が柳川に一寺を建立、祐念は子祐心に柳川順光寺を付属し、寛永六年(一六二九)久留米に来て庄島しようじまに草庵を結び、これを隠居所と定めた。正保三年(一六四六)徳川家光は祐念が春日局親類にあたるため、久留米藩二代藩主有馬忠頼を通じて十間屋敷に祐念の孫祐清に寺地を与えた。当時の堂宇は六間・七間の茅葺で、鐘楼があった(以上、寛文十年寺社開基)。翌年本尊・寺号を受けたと伝え、正保四年以降久留米領内では東本願寺派の寺院のみが許されたが、当寺は同派の総録の地位にあった(校訂筑後志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報