日本大百科全書(ニッポニカ) 「M・キュリー」の意味・わかりやすい解説 M・キュリー(年譜)きゅりーねんぷ 1867 11月7日マリヤ・スクロドフスカとしてポーランドのワルシャワで誕生1878 母、肺結核が悪化し死去1883 ワルシャワの国立女学校卒業1885 秋から住み込みの家庭教師となり、パリ留学中の姉に学費を送る1891 秋、パリ大学理学部に入学1893 物理学科学士試験に1位合格1894 数学科学士試験に2位合格1895 物理学者ピエール・キュリーと結婚。同年レントゲンが「X線」を発見1896 ベックレル、「ベックレル線」を発見1897 9月長女イレーヌ誕生。博士論文のテーマに、「ベックレル線」の解明を選ぶ。この研究にピエールも協力1898 7月新元素の発見を公表。祖国ポーランドにちなんで、ポロニウムと命名。12月ラジウムの発見を公表1900 女子高等師範学校の物理学講義の嘱託となる1902 純粋ラジウム塩0.1グラムの抽出に成功。5月父、死去。一時帰国1903 パリ大学より博士号を受ける。12月ベックレル、ピエールとともにノーベル物理学賞を受賞1904 ピエール、パリ大学物理学教授。12月次女エーブ誕生1906 4月19日ピエール、不慮の交通事故により急逝1908 夫の後任として、パリ大学物理学教授に就任1910 金属ラジウムの分離に成功1911 ノーベル化学賞を受賞1913 ワルシャワの放射能研究所設立に協力1914 パリのラジウム研究所設立に協力、その放射能実験室長となるが落成の日、第一次世界大戦勃発。移動X線班を組織、負傷兵の救護活動を行う1919 ラジウム研究所再開。この年故国ポーランド独立1920 キュリー財団創立1921 娘2人と訪米。ハーディング大統領よりラジウム1グラムを贈られる1926 長女イレーヌ、フレデリック・ジョリオと結婚1934 7月4日白血病で死去。夫の墓に埋葬 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例