古代中国においては一般に自称として用いられたが、秦の始皇帝のとき、天子の自称と定められた。



 
 
 
 
 
に作り、舟+
(そう)。
は両手でものを奉ずる形で、
(送)はその字に従う。〔説文〕八下に「我なり」とし、また「闕」とあって、字の形義を不明としている。我は代名詞で、その字はもと鋸(のこぎり)の象。代名詞に用いるのは仮借。
を代名詞に用いるのも、おそらく仮借の義。盤中のものを奉ずるのは、
(おく)るためであり、
(よう)の声義が
の初義であろうと思われる。卜辞に王位継承の順位者を示す語として子(し)・余(よ)・我・
があり、特定の身分称号であったが、それらがそのままのち、代名詞となった。金文に
を一人称所有格に用い、
吾・余
のように複用する例がある。また金文には周初の〔
(えいき)〕に「
(わ)が
を
(あき)らかにし、
(なが)く天子に臣(つか)へん」のように、代名詞以外の用法もある。「
兆(ちんちよう)」のように、もののきざしの意とするのは、おそらく
(ちん)字の誤用であろう。〔荘子、斉物論〕「眞宰
るが
(ごと)きも、特(ひと)り其の
(あと)を得ず」とあり、朕兆の意である。〔周礼、序官、春官、瞽
〕の〔注〕に「目
(もくちん)無き
、之れを瞽(こ)と謂ふ」の
が、その字である。朕の本音はヨウ。古くは一人称の所有格に用いた。朕(ちん)とよんで天子の自称とするのは、秦の始皇帝にはじまる。〔史記、秦始皇紀〕に「臣等昧死して
號を上(たてまつ)る。~天子自ら
して
と曰ふ」とみえる。
(ちん)の音でよむ。
(ちん)と通じ、きざし、朕兆。
 ワレ 〔字鏡集〕
 ワレ・キザス
声として
(謄)・
・
・
(勝)など十二字を収める。
の本音はおそらく
ji
ngで、
は
の初文。
d
ng、
ji
ng、
sji
ngはみなその系列の音である。
(よう)字条参照。出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...