朝日日本歴史人物事典 「長厳」の解説
長厳
生年:仁平2(1152)
平安末から鎌倉初期の天台宗園城寺の僧。尊真の弟子。刑部僧正と号した。有験第一といわれるほど密教修法に優れ,後鳥羽天皇の護持僧となる。天皇譲位後も,修明門院の安産祈願,七条院(後鳥羽天皇の母)への荘園寄進,水無瀬殿造進,そして皇子妙香院宮の師となるなど後鳥羽上皇と深い関係を保ち,大僧正となる。元久1(1204)年に熊野三山検校となり,承元1(1207)年に熊野詣での先達を勤め,上皇の代はそれを勤めるようにと院宣を下された。禅林寺,石山寺,神護寺,観心寺などの寺務も相承した。承久の乱(1221)に際し,討幕の謀議に加担したとして陸奥に流され,配所で憤怨のうちに77歳の生涯を閉じた。
(三橋正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報