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「天正」の検索結果

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てんしょう【天正】

日本の元号がわかる事典
日本の元号(年号)。安土桃山時代の1573年から1592年まで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごようぜい)天皇の代の元号。前元号は元亀(げんき)。次…

てんしょう〔テンシヤウ〕【天正】

デジタル大辞泉
安土桃山時代、正親町おおぎまち天皇・後陽成天皇の時の年号。1573年7月28日~1592年12月8日。

てんしょう(テンシャウ)【天正】

精選版 日本国語大辞典
戦国時代、正親町(おおぎまち)・後陽成両天皇の代の年号。元亀四年(一五七三)七月二八日に戦乱のため改元、天正二〇年(一五九二)一二月八日に文…

てんしょ【天正】

精選版 日本国語大辞典
〘 名詞 〙 ( 「てんしょう(天正)」の変化した語 ) 天正カルタ。また、それを用いてするカルタ賭博(とばく)。[初出の実例]「此方も粋方(すゐはう)…

てんしょう‐カルタ〔テンシヤウ‐〕【天正カルタ】

デジタル大辞泉
ポルトガル人がもたらしたもので、天正年間(1573~1592)に流行したカルタ。4種の札おのおの12枚、計48枚で遊ぶ。→ウンスンカルタ

天正大判【てんしょうおおばん】

百科事典マイペディア
1588年(天正16年)豊臣秀吉が彫金師後藤家に鋳造させた大型の判金。縦5寸6分5厘,横3寸4分などの楕円形で重量は44.1匁。10両として通用。〈拾…

天正大判 (てんしょうおおばん)

改訂新版 世界大百科事典
豊臣秀吉が1588年(天正16)京都の彫金家後藤徳乗に命じて鋳造させた大判。〈大判〉とは大型の判金という意味に用いられる。徳乗は織田信長に仕えて…

てんしょうかるた【天正かるた】

改訂新版 世界大百科事典

てんしょう‐おおばん(テンシャウおほバン)【天正大判】

精選版 日本国語大辞典
〘 名詞 〙 天正一六年(一五八八)豊臣秀吉が鋳造させた金貨。日本における大判金はこれに始まる。天正年間(一五七三‐九二)のもの、文祿年間(一…

天正通宝 てんしょうつうほう

山川 日本史小辞典 改訂新版
1587年(天正15)に豊臣秀吉の命によって鋳造された軍功賞賜用の銭。金銭・銀銭の2種があり,銀銭には銭文(せんぶん)に大小2体の区別がある。この銭の…

てんしょう‐おおばん〔テンシヤウおほバン〕【天正大判】

デジタル大辞泉
天正16年(1588)豊臣秀吉が彫金師の後藤徳乗に命じて鋳造させた金貨。縦5寸6分(約17センチ)、横3寸3分(約10センチ)余り。重さ44匁(約165グラム…

天正日記てんしようにつき

日本歴史地名大系
一冊 内藤清成 天正一八年 早稲田大学 徳川氏の江戸移封を記した日記。現在では偽書説が定説。記事は天正一八年五年一八日から一二月だが欠日も多い…

天正大判 てんしょうおおばん

山川 日本史小辞典 改訂新版
豊臣氏が彫金師後藤徳乗(とくじょう)とその一族に命じて製作させた大判金。鋳造時期と形状によって,1588年(天正16)初鋳の古大判,92年(文禄元)初鋳…

てんしょう‐こばん〔テンシヤウ‐〕【天正小判】

デジタル大辞泉
豊臣秀吉の命で天正大判とともに鋳造されたという金貨。周縁に小丸点を打ち、「天正」の極印があるが、正徳小判の贋造がんぞう銭といわれている。

てんしょうき【《天正記》】

改訂新版 世界大百科事典

天正通宝 てんしょうつうほう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
銭貨の一種。天正 15 (1587) 年豊臣秀吉が銀,銅でそれぞれ鋳造した。銀銭は径7分5厘強,銅銭は径8分。天正年間 (73~92) に鋳ったので天正通宝の名…

天正大判 てんしょうおおばん

旺文社日本史事典 三訂版
安土桃山時代の金貨1588(天正16)年,豊臣秀吉が後藤徳乗に鋳造させた。楕円形丸判と菱判とがあり,桐の極印を捺刻する。金含有分1000分の738.4。量…

てんしょうじしん【天正地震】

改訂新版 世界大百科事典

てんしょうとうじ【天正冬至】

改訂新版 世界大百科事典

天正日記((伊達天正日記))てんしようにつき

日本歴史地名大系
一二巻 延宝―元禄頃か 東京大学史料編纂所 天正一五―一八年にかけての伊達政宗とその周辺の事柄を記述した伊達家の公的な日記。「政宗記」と併せみる…

天正かるた てんしょうかるた

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
16世紀後半,ポルトガル人によって伝えられたかるた。紋はコップ copo,金貨 ouro,棍棒 bastão,剣 espadaから成り,1から9までが点札,10 (僧侶) …

てんしょう‐カルタ(テンシャウ‥)【天正カルタ】

精選版 日本国語大辞典
〘 名詞 〙 ( カルタは[ポルトガル語] carta ) 天正(一五七三‐九二)頃ポルトガルの商人や船員がもたらしたカルタ。一組は四八枚。寛永(一六二四‐…

天正日記((伊達天正日記))てんしようにつき

日本歴史地名大系
一二巻 延宝―元禄頃か 東京大学史料編纂所 天正一五―一八年にかけての伊達政宗とその周辺の事柄を記述した伊達家の公的な日記。「政宗記」と併せみる…

てんしょうおんながっせん〔テンシヤウをんなガツセン〕【天正女合戦】

デジタル大辞泉
海音寺潮五郎の歴史小説。豊臣秀吉と千利休をテーマにした作品。昭和11年(1936)発表。同年、「武道伝来記」とともに第3回直木賞受賞。

てんしょうくにえず【天正国絵図】

改訂新版 世界大百科事典

天正狂言本 てんしょうきょうげんぼん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
現存最古の狂言台本。巻末に天正6 (1578) 年の日付があるため,この名で呼ばれる。 103番の狂言を収めるが,各曲とも,歌謡や語りの部分はやや詳しい…

てんしょうきょうげんぼん【《天正狂言本》】

改訂新版 世界大百科事典

天正大判・小判 てんしょうおおばんこばん

日本大百科全書(ニッポニカ)
天正大判は1588年(天正16)以降豊臣(とよとみ)秀吉が、代々室町幕府に仕えた彫金師後藤家の5代目徳乗(とくじょう)らに命じて鋳造させた、楕円(だえ…

天正女合戦

デジタル大辞泉プラス
海音寺潮五郎の歴史小説。豊臣秀吉と千利休の対立を描く。『武道伝来記』他とあわせ第3回直木賞受賞。

天正遣欧使節 てんしょうけんおうしせつ

山川 日本史小辞典 改訂新版
1582年(天正10)イエズス会によって企画・実現された,キリシタン大名派遣の少年遣欧使節。大友宗麟・有馬晴信・大村純忠の名代として,伊東マンショ…

天正遣欧使節 (てんしょうけんおうしせつ)

改訂新版 世界大百科事典
イエズス会巡察師バリニャーノの発起により豊後の大友義鎮(宗麟),肥前の有馬晴信,大村純忠の3キリシタン大名がローマ教皇に遣わした4少年からな…

天正伊賀の乱

事典・日本の観光資源
(三重県)「伊賀のたからもの100選」指定の観光名所。

天正遣欧使節【てんしょうけんおうしせつ】

百科事典マイペディア
1582年(天正10年)宣教師バリニャーノの勧めにより,九州のキリシタン大名大友宗麟・有馬晴信・大村純忠の3氏がローマ教皇のもとに派遣した少年の…

てんしょう‐の‐こくなおし〔テンシヤウ‐コクなほし〕【天正の石直し】

デジタル大辞泉
⇒太閤検地たいこうけんち

てんしょう‐けんおうしせつ(テンシャウ‥)【天正遣欧使節】

精選版 日本国語大辞典
天正一〇年(一五八二)に九州のキリシタン大名大村純忠・大友義鎮・有馬晴信が宣教師バリニャーノの勧めによってローマにおくった少年親善使節。使…

こちゅうてんしょうおおばん【古鋳天正大判】

改訂新版 世界大百科事典

天正遣欧使節 てんしょうけんおうしせつ

旺文社日本史事典 三訂版
1582(天正10)年,九州のキリシタン大名大村純忠・大友宗麟・有馬晴信がヨーロッパに派遣した4人の少年使節宣教師ヴァリニャーニのすすめでローマ…

天正の石直し てんしょうのこくなおし

旺文社日本史事典 三訂版
1582(天正10)年以後,豊臣秀吉が太閤検地を行い,これまでの貫高制を改め石高制を採用したこと室町時代には貨幣流通が進み,年貢なども銭納制を採…

てんしょう‐けんおうしせつ〔テンシヤウ‐〕【天正遣欧使節】

デジタル大辞泉
天正10年(1582)九州のキリシタン大名がローマ教皇謁見のために派遣した少年使節。大村純忠・大友宗麟・有馬晴信の三大名が宣教師バリニャーノの勧…

天正遣欧使節 てんしょうけんおうしせつ

日本大百科全書(ニッポニカ)
天正年間に九州のキリシタン大名の名代として、イエズス会の企画によって南ヨーロッパに派遣された伊東マンショら4人の少年使節。「天正少年使節」「…

天正の石直し てんしょうのこくなおし

日本大百科全書(ニッポニカ)
→太閤検地

天正の石直し てんしょうのこくなおし

山川 日本史小辞典 改訂新版
⇒太閤検地(たいこうけんち)

天正軍談惟任記 てんしょうぐんだん これとうき

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典
歌舞伎・浄瑠璃の外題。初演明治32.5(東京・市村座)

天正遣欧使節 てんしょうけんおうしせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
天正10(1582)年九州のキリシタン大名,大友義鎮,大村純忠,有馬晴信が教皇のもとに派遣した少年使節。イエズス会の宣教師アレッサンドロ・バリニ…

てんしょう【天正】 の 石直((こくなお))し

精選版 日本国語大辞典
=たいこうけんち(太閤検地)〔田園地方紀原(1838)〕

天正遣欧少年使節 てんしょうけんおうしょうねんしせつ

日本大百科全書(ニッポニカ)
→天正遣欧使節

肥後国天正検地帳ひごのくにてんしようけんちちよう

日本歴史地名大系
五七冊 天正一七年(東迫間村田畠御検地御帳など具体的な検地帳) 県立図書館 肥後国では天正一六年佐々成政が国衆一揆の責任を負って改易されたあと…

天正年中二宮祭礼帳てんしようねんちゆうにのみやさいれいちよう

日本歴史地名大系
一冊 天正二宮祭礼記 伝天正二年 美和神社 甲斐二宮美和神社の祭礼に要する諸経費を書上げたもの。焼損した痕跡があり、末尾を欠くが、天正二年のも…

げんきてんしょうのそうらん【元亀・天正の争乱】

改訂新版 世界大百科事典

天正壬午甲信諸士起請文((天正壬午起請文))てんしようじんごこうしんしよしきしようもん

日本歴史地名大系
一冊 天正壬午武田家諸士起請文 天正一〇年 東京大学史料編纂所・早稲田大学図書館・恵林寺ほか 武田氏滅亡後、甲斐・信濃の武田氏旧臣が徳川家康に…

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

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