日本大百科全書(ニッポニカ) 「天正大判・小判」の意味・わかりやすい解説
天正大判・小判
てんしょうおおばんこばん
天正大判は1588年(天正16)以降豊臣(とよとみ)秀吉が、代々室町幕府に仕えた彫金師後藤家の5代目徳乗(とくじょう)らに命じて鋳造させた、楕円(だえん)形の大判として最古のもの。また縦約15.4センチメートル、横約10.2センチメートル、量目(りょうめ)約165グラムは、現存する金貨幣としては世界最大のものである。しかも品位は1000分中金740~700という良質であった。天正大判は秀吉の死後もつくられたが、大きさ、重さ、品位は変わらなかった。天正大判の表には「拾両後藤(花押)」と墨書されており、そのほか右肩に「天正十六」のごとく年号が墨書されたものもある。ただし拾両は量目の表示で、貨幣の単位を示したものではない。また表・裏に丸枠または菱(ひし)型枠に桐(きり)の極印(ごくいん)が数個打たれている。前者を丸判(まるばん)、後者を菱判(ひしばん)といった。
天正大判は主として軍用、賞賜用に用いられ、何枚と枚数を数えて使用した。天正小判も秀吉が大判とともに鋳造させたといわれるが、その確証はない。世にいう天正小判は、周囲に小丸点をもち、天正という極印が打たれているが、それは正徳(しょうとく)小判の変造とみられている。
[滝沢武雄]