天正遣欧使節(読み)てんしょうけんおうしせつ

  • てんしょうけんおうしせつ テンシャウ‥
  • てんしょうけんおうしせつ〔テンシヤウ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天正10(1582)年九州のキリシタン大名大友義鎮大村純忠有馬晴信教皇のもとに派遣した少年使節イエズス会の宣教師アレッサンドロ・バリニャーノにすすめられたもので,教皇,イスパニア王などに敬意を表し,ヨーロッパに日本人を紹介し,イエズス会の布教活動の意義を認識させ,あわせて日本伝道の援助を教皇庁に求めるのが目的であった。正使は伊東満所副使千々石ミゲル随員中浦ジュリアン原マルチノの 4人でいずれも 14~15歳の少年であった。バリニャーノに引率され同 10年1月に長崎を出発,ポルトガル船でマカオに渡り,そこにしばらく滞在したのちインドに向かい,インドからヌニョ・ロドリゲスが引率し,喜望峰を回りポルトガルのリスボンに上陸,陸路スペインに入り,国王フェリペ2世謁見,同 13年2月ローマにいたり,教皇グレゴリウス13世見して 3大名からの書簡と贈り物を献じた。使節は在欧中りっぱな態度でヨーロッパ人に接し,ローマでは大歓迎を受け,ローマ市民権を与えられ,また教皇から「黄金の拍車の騎士」という称号を授けられるとともに,日本セミナリオ(神学校)に対する教皇庁の援助を得ることに成功した。一行は同 18年6月帰国したが,国内では豊臣秀吉のキリスト教禁圧の時期に入っており(→キリスト教禁制),出発時のはなばなしさはなかった。しかし翌年閏1月一行はゴアから再来したバリニャーノとともに聚楽第で秀吉に謁見した。使節たちのその後の行動はさまざまで,棄教した者もあり,司祭として活動し殉教した者もあった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

1582(天正10)年、九州のキリシタン大名3人(大村純忠、有馬晴信、大友宗麟)の名代としてローマに派遣された、千々石ミゲル伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンの少年4人らの使節団。長崎を出港し、85年にローマ法王に謁見(えっけん)。90年に活版印刷機などを携えて帰国し、豊臣秀吉に西洋音楽を披露した。

(2017-09-09 朝日新聞 朝刊 1総合)

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百科事典マイペディアの解説

1582年(天正10年)宣教師バリニャーノの勧めにより,九州のキリシタン大名大友宗麟有馬晴信大村純忠の3氏がローマ教皇のもとに派遣した少年の使節団。正使は伊東マンショ,千々石(ちぢわ)ミゲル。副使は原マルチノ,中浦ジュリアン。ローマで大歓迎を受け1590年帰国。
→関連項目伊東マンショ千々石ミゲル

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世界大百科事典 第2版の解説

イエズス会巡察師バリニャーノ発起により豊後の大友義鎮(宗麟),肥前の有馬晴信,大村純忠の3キリシタン大名がローマ教皇に遣わした4少年からなる使節。バリニャーノはインド,ローマへの帰還に当たり,急きょ日本人キリシタンのローマ派遣を計画した。有馬のセミナリヨに学んでいた少年4名,正使に伊東マンショ千々石(ちぢわ)ミゲル,副使に原マルチノ中浦ジュリアンが選ばれて1582年(天正10)2月長崎を出帆,ゴア,リスボン,マドリードフィレンツェを経て85年2月ローマ入りし,教皇グレゴリウス13世に謁した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天正年間に九州のキリシタン大名の名代として、イエズス会の企画によって南ヨーロッパに派遣された伊東マンショら4人の少年使節。「天正少年使節」「天正遣欧少年使節」ともいわれる。

 織田信長の晩年に来日したイエズス会日本巡察師バリニャーノは、1582年2月(天正10年正月)に長崎を離れる直前に、日本人の若者をキリシタン大名の使節としてヨーロッパに派遣することを企てた。その目的の一は、かの地のキリスト教界が、いかに華麗で偉大であるかを日本人に見聞させ、帰国後、その同胞に直接語らせることによって布教上の成果を期したこと、他は、ヨーロッパにおいてローマ法王をはじめ王侯貴族に日本人を紹介することによって、彼らの心を動かし、日本での布教事業に理解を深めてもらい、援助を請うことにあった。使節の人選は急いだこともあって、島原半島の有馬(ありま)セミナリオの在学生のなかから、大友宗麟(そうりん)の名代としては、その遠縁(妹の娘の夫の妹の子)である伊東マンショ、有馬晴信(はるのぶ)(鎮貴(しげたか))と大村純忠(すみただ)の名代としては両人の親族である千々石(ちぢわ)ミゲルとし、中浦ジュリアン、原マルチノ両人を副使に任じた。一行は1583年ゴアに達したが、バリニャーノはそこにとどまらねばならなくなり、日本語に通じたポルトガル人ディオゴ・デ・メスキータが使節の指導にあたった。1584年8月リスボンに到着。当時、ポルトガル国王はスペイン国王フェリペ2世が兼ねていたので、マドリードに赴いて謁見を賜り、その援助によって地中海を渡り、イタリアに向かった。トスカナ大公国で大歓迎を受けたのち、1585年3月23日、使節らは法王グレゴリウス13世から、帝王の間において最高の待遇をもって引見され、次の法王シスト5世からも援助を約束されたり、ローマの市民権証書を授けられたりしたのち、北イタリアの旅を続け、スペイン、ポルトガルを経て帰国の途についた。インドにおいてバリニャーノと再会したが、マカオに着いたところ、日本からは、豊臣(とよとみ)秀吉が宣教師追放令を発したとの報に接し、一行はインド副王の使節の資格で入国を許可された。

 1590年7月(天正18年6月)一行は長崎に帰り、翌年3月(旧暦閏(うるう)正月)、聚楽第(じゅらくだい)において秀吉に謁した。正副4使節はイエズス会に入ったが、のち千々石ミゲルは棄教し、他の3名は司祭になったが、いずれも病死、殉教死を遂げ、当初バリニャーノが期待したようには活動できなかった。しかし、ヨーロッパ・キリスト教世界に日本と日本人を知らしめた功績は大きい。

[松田毅一]

『岡本良知訳・注『フロイス・九州三侯遣欧使節記』(1942・東洋堂)』『東京大学史料編纂所編・刊『大日本史料 11編別巻 天正遣欧使節関係史料』(1959)』『泉井久之助他訳『デ・サンデ天正遣欧使節記』(1969・雄松堂出版)』『松田毅一著『史譚・天正遣欧使節』(1977・講談社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

天正一〇年(一五八二)に九州のキリシタン大名大村純忠・大友義鎮・有馬晴信が宣教師バリニャーノの勧めによってローマにおくった少年親善使節。使者は、伊東マンショらの一四~一五歳の少年四人であった。ローマ法王グレゴリウス一三世やイスパニア国王に謁見して、同一八年に帰国した。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

1582(天正10)年,九州のキリシタン大名大村純忠・大友宗麟・有馬晴信がヨーロッパに派遣した4人の少年使節
宣教師ヴァリニャーニのすすめでローマ教皇・スペイン国王に謁して,日本伝道の援助を求めた。正使伊東マンショ・千々石 (ちぢわ) ミゲル,副使原マルチノ・中浦ジュリアンの4少年で,ローマで大歓迎をうけ,'90年帰国。その後キリシタン禁制で棄教をせまられるなど,活動は十分できなかった。

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世界大百科事典内の天正遣欧使節の言及

【キリスト教】より

…織田信長はこれを歓迎したが,豊臣秀吉は1587年追放令(伴天連(ばてれん)追放令)を発した。その5年前,大村純忠らによって派遣された天正遣欧使節はローマに赴いて教皇グレゴリウス13世に謁している。禁教にもかかわらず,フランシスコ会士は1593年に初来日し,宣教師の一人ソテロは仙台へ行き,伊達政宗に迎えられた。…

【ゴア[州]】より

…インド中西部アラビア海に面する州。コンカンKonkan海岸の南端にある。1961年インド政府の武力解放により,ボンベイ北方のダマン,カーティアーワール半島海岸部のディウDiuの両旧ポルトガル領植民地とともにインド共和国に併合され,あわせて政府直轄地となる。87年ゴアのみで州になり,ダマン・ディウは直轄地として残った。面積3702km2,人口117万(1991)。州都はパンジムPanjim(パナジPanaji,新ゴア)。…

【マントバ】より

…G.ロマーノ(1499ころ‐1546)には,幻想的な別荘(パラッツォ・デル・テ)の設計と内部装飾を委嘱し,さらに同市の都市計画も依頼し,ヨーロッパでも有数の整備された美しい都市とした。ちなみに,天正遣欧使節一行がマントバ滞在のおりには,グリエルモ公(在位1550‐87)の訪問をうけ,ミンチオ川の形成する湖上で市民3万人以上の歓迎の花火大会に出席している。1707年オーストリア領となり,96年6月から8ヵ月間ナポレオン軍に包囲されて陥落した。…

※「天正遣欧使節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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