アメリカ合衆国第8代大統領。在職1837-41年。1820年代にニューヨーク州で猟官制度(スポイルズ・システム)を用いて,結束の固い職業政治家集団オルバニー・リージェンシーをつくり,1828年これを率いてジャクソンの大統領当選を助けた。猟官制はジャクソン政権でも意識的に採用され,リージェンシーの組織原理はジャクソン派が民主党として発展していく際のモデルとなった。彼自身ジャクソンの下で国務長官,副大統領を務めた後,後継者として大統領に選ばれた。しかし就任直後,37年恐慌に見舞われ,次の選挙で敗れた。44年選挙ではテキサス併合に反対して南部奴隷主階級の支持を失い,民主党の指名を逸した。48年には奴隷制拡大反対派に推されてフリー・ソイル党候補となったが,落選後民主党に復党した。結局,彼は民主党をつくり,民主党員として生きた。しかし南北戦争勃発後,敵の共和党のリンカン大統領に期待を寄せながら死んだ。
執筆者:安武 秀岳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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