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ジャクソン ジャクソンJackson, A(braham) V(alentine) Williams

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジャクソン
Jackson, A(braham) V(alentine) Williams

[生]1862.2.9. ニューヨーク
[没]1937.8.8. ニューヨーク
アメリカの言語学者。コロンビア大学教授。インド=イラン語派,特にアベスタ語の研究で知られる。主著『サンスクリット語との比較によるアベスタ語文法』 An Avesta Grammar in Comparison with Sanskrit (1892) ,『ペルシア,過去と現在』 Persia,Past and Present (1906) など。

ジャクソン
Jackson, Alexander Young

[生]1882.10.3. モントリオール
[没]1974.4.5.
カナダの画家。シカゴおよびパリに学ぶ。 1917~19年公式の戦争記録画家として活動。のちに「グループ・オブ・セブン」の一員となる。オンタリオ北部,ケベック田園ロッキー山脈などの風景画がよく知られる。

ジャクソン
Jackson, Andrew

[生]1767.3.15. サウスカロライナ,ワックスホー
[没]1845.6.8. テネシー,ナッシュビル近郊
アメリカの軍人,政治家。第7代大統領 (在任 1829~37) 。北アイルランド移民の子として生れ,独立戦争中 14歳で孤児となる。 1787年検事資格を取得してテネシーへ移り,88年郡裁判所検事。 96年連邦下院議員。 97年 30歳で連邦上院議員。 98年テネシー州最高裁判所判事に就任。このほか 1800年代初頭までプランテーション経営,土地投機,綿花売買など経済的活動にも従事。検事認可状を元手に 10年ほどの短期で地方最高の社会的地位と相当な資産を築き,辺境社会特有の典型的立身出世をとげた。続いて,対インディアン戦争に従事。 13~14年クリーク族に対して殲滅作戦を駆使。その戦功により,陸軍少将,第7軍管区司令官。 15年1月ニューオーリンズの戦いでイギリス軍に大勝を博し国民的英雄に祭り上げられた。 17~18年スペイン領フロリダに侵入しセミノール・インディアンと逃亡黒人奴隷を討伐。 21年フロリダ准州知事。 22~25年連邦上院議員。 24年の大統領選挙では選挙人団投票数で第1位を占めながら H.クレーの策動で J.Q.アダムズに敗れたが,28年の大統領選挙では白人男子普通選挙権の普及を背景に,現職のアダムズを破って当選。 32年再選。農民,都市小市民,労働者,新興ブルジョアジーなど庶民層の広範な支持を受けて旧特権勢力に挑戦。党人任用制,官職交代制,インディアン強制移住の実施,公有地分配の大衆化,第二合衆国銀行の解体,33年の関税法,第2次セミノール戦争 (35~42) などの政策を展開,「ジャクソン民主主義」と呼ばれる一時代を現出した。彼は決闘を4回経験し,競馬,闘鶏を好む典型的な西部人で「オールド・ヒコリー (古いかしの木) 」と呼ばれ,また政敵からは「アンドルー王」といわれ独裁者とみられた。 37年大統領退任後は自邸ハミテージに引退,影響力を失った。

ジャクソン
Jackson, Sir Barry Vincent

[生]1879
[没]1961
イギリスの演出家。 1913年にバーミンガム・レパートリー劇場を創設。伝統に拘束されない自由な演劇の創造を目指し,多くの古典劇,現代劇を演出した。著書に『演劇と市民生活』 The Theatre and Civil Life (1922) がある。

ジャクソン
Jackson, Cyril

[生]1746. ヨークシャー
[没]1819.8.15. フェルファム
イギリス国教会の司祭。オックスフォード大学を卒業。 1771~76年ジョージ3世の長子次子の教育補佐。 83~1809年オックスフォードのクライスト・チャーチの首席司祭。教会運営にすぐれ,厳格な規律を確立し,すぐれた人材を育成した。

ジャクソン
Jackson, Frederick George

[生]1860.3.6. ウォリックシャー
[没]1938.3.13. ロンドン
イギリスの北極探検家。エディンバラ大学を卒業,1887年捕鯨船に乗りグリーンランドに行き,フランツヨセフ諸島を基地にした北極探検を計画。 93~94年にシベリアのツンドラ地帯を通って北ノルウェーまでそり旅行をし,94年にジャクソン=ハームズワース探検隊を組織,北極点への第1歩としてフランツヨセフ諸島を調査し (1894~97) ,著しい成果をあげた。しかし 95年 H.ヨハンセンを伴って北緯 86°13′ (当時の最北) まで達して退却を余儀なくされた F.ナンセンの失敗をみて,北極点へ行くのを中止した。南アフリカ戦争と第1次世界大戦に従軍後,中央アフリカを探検した。主著『北極における 1000日間』A Thousand Days in the Arctic (99) ほか。

ジャクソン
Jackson, Helen (Maria) Hunt

[生]1830.10.15. マサチューセッツ,アマースト
[没]1885.8.12. サンフランシスコ
アメリカの女流詩人,小説家。旧姓 Fiske。カリフォルニアのインディアンの受けた不当な扱いに抗議したパンフレット『恥ずべき1世紀』A Century of Dishonor (1881) および同じテーマの小説『ラモナ』 Ramona (84) で知られる。そのほか,友人 E.ディキンソンをモデルにした小説『マーシー・フィルブリックの選択』 Mercy Philbrick's Choice (76) などがある。

ジャクソン
Jackson, John Hughlings

[生]1835.4.4. グリーンハマートン
[没]1911.10.7. ロンドン
イギリスの神経学者。 1860年,セントアンドルーズ大学で学位を取得後,主としてロンドンで活躍。 62年から国立神経病院に勤務,63年からロンドン病院も兼務した。神経系統の研究とともに,精神障害を神経病学的に解釈しようとした。その理論は後年ジャクソニズムと呼ばれている。また言語障害の権威として知られ,63年にはジャクソンてんかんを記載した。脳や脊髄の損傷による神経系の障害を研究し,神経学,精神医学のその後の発展に大いに貢献した。

ジャクソン
Jackson, Sheldon

[生]1834.5.18. ニューヨーク,ミナビル
[没]1909.5.2.
アメリカの長老教会派牧師,教育者。 1854年にプリンストン神学大学を卒業。 59~83年ミネソタ,ウィスコンシンアイオワ,その他の州に 100以上の教会を創立。ニューメキシコアリゾナ先住民 (インディアン) のための学校を開いた。 83年にはアラスカで教会や学校を組織し,食糧補充のためにシベリアトナカイを輸入して飼育,85~1908年に教育官吏をつとめ,アラスカへのアメリカ合衆国参加の基礎を築いた。 1897年には長老派教会大会議長に選出された。

ジャクソン
Jackson, Thomas Jonathan

[生]1824.1.21. バージニアクラークスバーグ
[没]1863.5.10. バージニア,チャンセラーズビル
アメリカ合衆国の陸軍軍人。 1846~47年アメリカ=メキシコ戦争に参加。 1861年南北戦争開始とともに南軍に参加,ロバート・リー将軍の右腕として,同年ブルランの戦い,1862年シェナンドーア渓谷の戦いで部隊を指揮して勝利を得た。その勇猛ぶりから「石壁ジャクソン」 Stonewall Jacksonと呼ばれた。 1863年チャンセラーズビルの戦いで戦闘指揮中,味方の銃弾で重傷を負い死亡した。

ジャクソン
Juxon, William

[生]1582. チチェスター?
[没]1663.6.4. ロンドン
イギリスの聖職者。 W.ロード引立てで出世し,1633年ロンドン主教,36年大蔵卿に就任。これは世俗の要職を兼務した聖職者としては,イギリス最後の例。清教徒革命中は国王チャールズ1世に側近として仕え,49年の国王処刑に立会った。 60年王政復古に際しカンタベリー大主教となり,没年まで在職。

ジャクソン
Jackson

アメリカ合衆国,テネシー州西部の都市。メンフィスの北東約 130km,ミシシッピ川の支流サウスフォーク川沿いに位置する。 1820年初期に入植が始り,やがてワタ栽培の中心となった。第7代大統領 A.ジャクソンにちなんで命名。市の経済は綿花,木材などの集散木製品,家具などの工業に基礎をおき,レーン大学 (1882創立) など教育施設もある。人口4万 8949 (1990) 。

ジャクソン
Jackson

アメリカ合衆国,ミシガン州南部にある都市。デトロイトの西 110km,グランド川河畔に位置する。 1829年入植。地名は第7代大統領 A.ジャクソンに由来。初期の主産業であった自動車工場がほかの町に移ってから,工業の多様化に努め,自動車部品玩具の製造が盛ん。北方 8kmに南ミシガン州立刑務所がある。人口 3万3534(2010)。

ジャクソン
Jackson

アメリカ合衆国,ミシシッピ州州都。州のほぼ中央,パール川沿岸に位置する。地名は A.ジャクソン将軍 (第7代大統領) に由来。 1822年,市街地と公園が交代するチェス盤状の都市計画に従い建設され,30年代に旧州議会議事堂 (現歴史博物館) や州知事官邸などが建てられたが,南北戦争 (1861~65) のとき焼失し,一時衰微した。 1903年に新議事堂が完成。 20世紀に入って,市は急速に復興した。 30年代に近郊で天然ガスが発見され,工業が発達。おもな産業は鉄道工業,造船,ガラス,タイル,電子機器。ミルサップス大学 (1890創立) ,ジャクソン州立大学 (1877) ,図書館,画廊などがあり,歌劇団,交響楽団をもつ。人口 19万 6637 (1990) 。

ジャクソン
Jackson, Glenda

[生]1936.5.9. バーケンヘッド
イギリスの舞台・映画女優。煉瓦職人の家に生まれ,16歳で学校を中退してアマチュア劇団に加入。まもなく奨学金を得てロンドンのロイヤル演劇アカデミーに進学し,卒業後は女優兼舞台監督助手として複数のレパートリー・シアターに所属した。ピーター・ブルックに見出されて「残酷演劇」の公演に抜擢されたことにより,女優としての将来が約束された。1964年『マラー/サド』Marat/Sade のロンドン公演でシャルロット・コルデ役を好演。同作品のニューヨーク公演(1965)と映画化作品(1967)でも同じ役を演じた。ケン・ラッセル監督の『恋する女たち』Women in Love(1969)に続き,『ウィークエンド・ラブ』A Touch of Class(1973)でもアカデミー賞主演女優賞を受賞。1992年の総選挙で労働党から立候補し,下院議員に当選した。

ジャクソン
Jackson, Reggie

[生]1946.5.18. ペンシルバニア,ウィンコート
アメリカ合衆国のプロ野球選手。フルネーム Reginald Martinez Jackson。1967年からカンザスシティー・アスレティックスの二軍でプレーし,1968年にチームが本拠地をカリフォルニア州オークランドに移した際に一軍昇格。ホームランバッターとして,また俊足で名をはせた。アスレティックス在籍中の 1973年と 1975年にアメリカンリーグの本塁打王に輝き,チームのワールドシリーズ 3連覇(1972~74)にも貢献。1973年以降はおもに指名打者として活躍した。1976年ボルティモア・オリオールズにトレードされたのち,1977年フリーエージェントでニューヨーク・ヤンキーズに移籍。1977年のワールドシリーズ最終試合では 3打席連続本塁打を放って 5得点を上げ,ヤンキーズを勝利に導いた。翌 1978年のワールドシリーズでは打率 3割9分1厘,本塁打 2を記録。10月に開催されるワールドシリーズでのめざましい活躍から「ミスター・オクトーバー」の異名をとった。1980年に再びリーグ本塁打王のタイトルを獲得。1982~86年はカリフォルニア・エンジェルズに在籍したが,1987年にアスレティックスに戻り,シーズン後に現役を引退。1993年野球殿堂入りを果たした。

ジャクソン
Jackson, Sir Peter

[生]1961.10.31. ノース島,プケルア・ベイ
ニュージーランドの映画監督。フルネーム Sir Peter Robert Jackson。8歳のときに両親が買い与えた 8ミリカメラで映画を撮り始める。やがて短編映画の制作を始め,ニュージーランド映画委員会から資金援助を得て完成させた『バッド・テイスト』Bad Taste(1987)がカンヌ国際映画祭で称賛された。1989年に人形が人間のふるまいの裏面を演じる『ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス』Meet the Feeblesを発表,1992年にはゾンビ映画『ブレインデッド』Braindeadで数々の国際的な賞を受けた。実際に起こった事件を題材にした『乙女の祈り』Heavenly Creatures(1994)でアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン作『指輪物語』The Lord of the Ringsを映画化した「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ 3部作――『ロード・オブ・ザ・リング』The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring(2001),『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』The Lord of the Rings: The Two Towers(2002),『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』The Lord of the Rings: The Return of the King(2003)――で監督および脚本を執筆。批評家に高く評価され,興行面でも成功した。特に第3作はアカデミー賞監督賞,作品賞,脚色賞ほか計 11部門を制して話題を呼んだ。2010年メリット勲章を授与された。

ジャクソン
Jackson, Michael

[生]1958.8.29. インディアナ,ゲーリー
[没]2009.6.25. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の歌手,作詞家,作曲家,ダンサー。フルネーム Michael Joseph Jackson。音楽に優れた一家に生まれ,11歳のときに 4人の兄弟とともに「ジャクソン・ファイブ」を結成,リード・ボーカルとなる。1971年ソロ・デビューし,クインシー・ジョーンズがプロデュースしたアルバム『オフ・ザ・ウォール』(1979),『スリラー』(1982。グラミー賞の最優秀アルバム賞を含む 8部門を制覇)などが大ヒットした。『ビリー・ジーン』『ビート・イット』のプロモーション・ビデオなどで歌いながら踊るダンスに優れた才能をみせ,「ムーンウォーク」はトレードマークとなった。1980年代には視覚的要素が重視される時代のスーパースターとしての地位を確立し,「ポップの帝王」と呼ばれた。アフリカの貧困と飢餓救済を目的に,ライオネル・リッチーと共作した『ウイ・アー・ザ・ワールド』(1985)には,アメリカの大物歌手が多数参加した。2003年少年への性的虐待疑惑で逮捕・起訴されたが 2005年に無罪評決を受けた。2001年ロックの殿堂入りを果たした。

ジャクソン
Jackson, John

[生]1769.9.28. ロンドン
[没]1845.10.7. ロンドン
イギリスのプロボクサー。愛称は Gentleman Jackson。ベアナックル (素手) のアマチュア・ボクサーとしてある程度名を知られていたが,公式試合には 3回しか出場しなかった。3回目となる 1795年のダニエル・メンドザ戦に勝ってイギリスのベアナックル・チャンピオンとなった。1803年までタイトルを保持したが,護身術の学校を開くために引退。学校で指導を行なうなかで,カウンターブロー,相手との的確な距離のとり方,機敏なフットワークなど科学的なボクシングの攻撃法をつくり上げたといわれている。学校にはバイロン卿をはじめ多くの青年貴族が集まり,彼らが中心になって 1814年,ピュジリスト保護協会が創設された。イギリスでプロボクシングを正式なスポーツとして定着させることに貢献した。

ジャクソン
Jackson, Jesse

[生]1941.10.8. サウスカロライナ,グリーンビル
アメリカ合衆国の公民権運動指導者,キリスト教バプテスト派の牧師,政治家。本名 Jesse Louis Burns。1959年フットボール選手として奨学金を得てイリノイ大学に進んだのちノースカロライナ州立農工大学に移り,1964年に社会学学士号を取得。その間に公民権運動に加わった。その後シカゴ神学校に学び,1968年にバプテスト派の牧師に叙任された。1965年にマーチン・ルーサー・キング牧師と行動をともにするためアラバマ州セルマへ赴き(→セルマ事件),南部キリスト教指導会議 SCLCの活動家となったが,1971年に SCLCから離脱して別の組織を立ち上げた。1970年代後半には世界各地に活動の場を広げた。1984年にシリア,1990年にイラク,1999年にユーゴスラビアでアメリカの軍人や民間人の人質解放交渉に携わったことで称賛された。1980年代には国内でアフリカ系アメリカ人の代弁者および擁護者として指導的立場に立った。大統領選挙の民主党予備選挙に 2回立候補し,1984年は 3位,1988年は 2位となった。ジャクソンが民主党内で影響力を増したことにより,民主党綱領においてアフリカ系アメリカ人問題が重視されるようになった。1997年ビル・クリントン大統領からアフリカ支援特使に任命された。同 1997年アメリカ企業におけるマイノリティの機会拡大を目指す運動体「ウォール街プロジェクト」を創設した。2000年,大統領自由勲章を受章し,シカゴ神学校から神学修士号を授与された。

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デジタル大辞泉の解説

ジャクソン(Andrew Jackson)

[1767~1845]米国の政治家・軍人。第7代大統領。在任1829~1837。農民や中小企業家の擁護、選挙権の拡大などジャクソニアンデモクラシーとよばれる民主主義政策を推進したが、インディアンの迫害、黒人奴隷制の容認などで批判された。→バン‐ビューレン

ジャクソン(Mahalia Jackson)

[1911~1972]米国の歌手。ゴスペルソング女王といわれた。

ジャクソン(Michael Jackson)

[1958~2009]米国の歌手・ダンサー。1966年、実兄4人とともにジャクソンファイブとしてデビュー。優れた歌唱力とダンスで人気を得る。1971年よりソロ活動を開始。「スリラー」「バッド」など世界的なヒット曲を次々と生み出し、20世紀末のポピュラー音楽を代表する人物となった。

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百科事典マイペディアの解説

ジャクソン

米国の政治家。第7代大統領(1829年―1837年)。独立戦争孤児として育ちテネシー州で大農園経営に成功して政治家となり,連邦上下両院議員,テネシー州最高裁判所判事を歴任,1812年戦争の際ニューオーリンズの戦で英軍に大勝,国民的英雄となった。
→関連項目クロケットテネシー[州]民主党(米国)

ジャクソン

米国,ミシシッピ州の州都。州のほぼ中央に位置し,パール川に臨む。製材,家具,繊維などの軽工業が盛ん。1821年新州都に選定され,計画的に建設された。1920年代末,付近で天然ガスが発見され,急速に発展。

ジャクソン

米国のソウル歌手。インディアナ州に生まれ,1969年兄弟5人で結成されたジャクソン・ファイブのリード・ボーカルとしてメジャーデビュー。ソロ活動でも1979年アルバム《オフ・ザ・ウォール》が400万枚を売る大ヒット,その後も《スリラー》《バッド》などのアルバムが数千万枚のセールスを記録,また1985年アフリカ飢餓救済のため《ウイー・アー・ザ・ワールド》を発表した。
→関連項目ジョーンズ

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世界大百科事典 第2版の解説

ジャクソン【Jackson】

アメリカ合衆国ミシシッピ州中西部の同州の州都。人口19万3000(1994)。州最大の都市で,商業・交通の中心地。石油,天然ガス,食品加工,木材,金属,ガラス,木工製品が主要工業である。1821年州都として町が建設され,23年に市制施行。市名は第2次英米戦争の英雄でのちに大統領となったA.ジャクソンにちなむ。南北戦争の戦場となり,63年には,北軍のシャーマン将軍が町の大部分を焼失させた。1920年代後半に鉄道交通の中心として成長し,さらに30年代には天然ガスの発見によって発展した。

ジャクソン【Andrew Jackson】

1767‐1845
アメリカ合衆国第7代大統領。在職1829‐37年。スコッチ・アイリッシュ系移住民の子としてサウス・カロライナ奥地で生まれた。12歳で独立戦争に従軍して負傷し,戦争で全家族を失った。その後親戚の遺産300ポンド以上を相続し,紳士仲間に入り,競馬,闘鶏を楽しむかたわら法律を学んで弁護士となり,テネシーのナッシュビルに移る。そこで富裕な土地投機業者の娘レーチェル・ロバーズと結婚し,1797年州憲法制定に参画し,1806年まで連邦上下両院の議員,テネシー州最高裁判所判事を歴任した。

ジャクソン【John Hughlings Jackson】

1835‐1911
イギリスの神経病学者。ロンドンのセント・バーソロミュー病院,スコットランドのセント・アンドルーズ病院で医学を修め,1863年国立神経病院の医員となり,C.ブラウン・セカールの影響を受けた。神経病学に従事し,神経病の臨床的症状と大脳局在論とを結びつけることに努力し,その後の神経生理学に大きな影響を与えた。後天性症候性癲癇てんかん)である〈ジャクソン癲癇〉を記載(1863)したのをはじめ,失語症(1867),舌や口蓋の半分と声帯の麻痺からなる〈ジャクソン症候〉(1872)の研究で知られる。

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大辞林 第三版の解説

ジャクソン【Jackson】

〔Andrew J.〕 (1767~1845) アメリカの政治家・軍人。小農や労働者の支持を得て第七代大統領(在任1829~1837)となり、選挙権の拡大、党人任用制など民主化政策を進めた。
〔John Hughlings J.〕 (1835~1911) イギリスの神経学者。神経系の進化と解体に関する理論で知られる。

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367日誕生日大事典の解説

ジャクソン

生年月日:1912年5月31日
アメリカの政治家
1983年没

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世界大百科事典内のジャクソンの言及

【アメリカ合衆国】より

…広大な土地空間の存在,03年のフランスよりのルイジアナ地方買収につづく膨張政策は,大陸国家,農業社会の形成を必然たらしめたといえよう。ことに29年門閥,学歴と無縁の西部農民出身のジャクソンが大統領に就任したことは,広大な西部を背景に独立自営,機会均等,自由競争,成功というアメリカ的価値体系が相対的に現実化したことを象徴したものといえよう。しかし,綿花の生産および輸出の飛躍的増大は,南部大農園主,奴隷所有者の発言権を強めることになる。…

【ジャクソニアン・デモクラシー】より

…アメリカ合衆国第7代大統領A.ジャクソン(在職1829‐37)の時代の〈民主的な〉改革運動を総括する概念。第2次英米戦争(1812‐14)後,産業革命と西部開拓の進展により人口の急激な流動化が起こり,各地方の名望家支配が動揺し始め,民衆運動や民衆扇動が全国的に展開された。…

【ジャクソン】より

…1821年州都として町が建設され,23年に市制施行。市名は第2次英米戦争の英雄でのちに大統領となったA.ジャクソンにちなむ。南北戦争の戦場となり,63年には,北軍のシャーマン将軍が町の大部分を焼失させた。…

【情実任用】より

…この言葉は〈獲物は勝者に帰属する〉というローマ時代のスローガンに由来している。アメリカでは,厳格な三権分立の統治構造に基づき,政権が交代するたびに,多くの公務員が更迭されてきたが,とくに1829年に政権についたジャクソン大統領の下で,民衆に対する公職の開放が強調され,大規模な更迭政策が行われ,猟官制が確立した。その後,この慣習は政党政治の金権政治化とともに,選挙運動や党資金のために利用され,腐敗と非能率を生み出した。…

【第2次英米戦争】より

…カナダ獲得の夢は絶たれ,財政はひっ迫し,親英的な野党フェデラリスツは政界再編成に動き出し,政府は苦境に立ったが,14年12月24日,ベルギーのガンでの講和成立に持ち込んだ。この講和の直後15年1月,その知らせが伝わる前に,A.ジャクソン将軍がニューオーリンズでイギリス軍と会戦し大勝利を収めた。この勝利によってやっと政府は面目を保ち,逆に戦争に反対したフェデラリスツの政権奪還の機会は失われた。…

【バン・ビューレン】より

…在職1837‐41年。1820年代にニューヨーク州で猟官制度(スポイルズ・システム)を用いて,結束の固い職業政治家集団オルバニー・リージェンシーをつくり,1828年これを率いてジャクソンの大統領当選を助けた。猟官制はジャクソン政権でも意識的に採用され,リージェンシーの組織原理はジャクソン派が民主党として発展していく際のモデルとなった。…

【猟官制度】より

…それは1832年,ニューヨークの上院議員W.L.マーシーが述べた〈戦利品(スポイルズ)は勝者の手に〉という有名な文句に由来する。アメリカにおいてスポイルズ・システムを初めて用いたのは,第3代大統領ジェファソンであるが,この制度が確立されるのは,第7代大統領ジャクソンの時代になってからである。彼はそれまで州レベル以下で行われていた公職交替制の原理を連邦公務員の任用制度に応用した。…

【精神分析】より

… フロイトが自由連想法によって得た心理的知見は,この新しい心理的接近法によってのみ得られた独自なものであったが,これを理論化するに当たって,フロイトは当時支配的であった唯物論的な物理学,生理学の考えをモデルとした。〈エネルギー保存の法則〉を定式化したH.L.F.vonヘルムホルツの影響は,フロイトの徹底した決定論とエネルギー経済論に反映しているし,階層的・局所論的な心的構造論は,彼自身がかつてJ.H.ジャクソンの思想的影響を受けた神経学者であったことと関係していよう。さらにその人格発達論と退行理論にはC.ダーウィンの進化論の裏打ちがある。…

※「ジャクソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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