コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

フェイト フェイト Fyt, Jan

4件 の用語解説(フェイトの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フェイト
フェイト
Fyt, Jan

[生]1611.3.15. 〈洗礼〉アントウェルペン
[没]1661.9.11. アントウェルペン
フランドルの画家。狩猟や動物を主題とする作品において,師 F.スネイデルスの伝統を受継ぎ発展させた。フランスイタリアをも訪れたのち,1643年にはアントウェルペンに工房を開く。装飾的ともいえる華麗な画風で,死んだ獣や果実を配した静物画を描いた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

フェイト Feith, Arend Willem

1745-1782 オランダ商館長。
マラバル(インド西海岸)のコイラン生まれ。明和2年(1765)長崎出島の商館員として来日。8年から5期10年間,商館長をつとめた。この間江戸参府は6回。中川淳庵,桂川甫周,林子平,鹿児島藩主島津重豪(しげひで)らと交際があった。1782年5月14日帰37歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

フェイト

没年:1782.5.14(1782.5.14)
生年:1745
江戸中期の出島オランダ商館長。マラバル(インド西海岸)のコイラン生まれ。1762年東インドに渡り,明和2(1765)年来日。商務員補から昇進して同8年商館長となり,5期(1771~72,73~74,75~76,78~79,80~81)務める間に江戸参府を6回行って,多くの日本人と接触した。ツンベリーを伴った安永5(1776)年の参府時は中川淳庵,桂川甫周らに海外情報や西欧の諸知識を提供,甫周の弟森島中良(桂川甫〓)の『紅毛雑話』に「ヘイト」の逸話が紹介されている。島津重豪,平沢旭山,林子平らは出島に彼を訪れた。子平はその著書中にしばしば「ヘイト」の名を挙げ,世界地理知識や無人島,蝦夷対策,ロシア南下説に影響を受けたことを記している。1782年本国への帰途バタビアマラッカの間で死去,バタビアに葬られた。<参考文献>森島中良『紅毛雑話』,林子平『三国通覧図説』『海国兵談

(鳥井裕美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フェイト
ふぇいと
Franois Fejt
(1909―2008)

ハンガリー生まれのジャーナリスト・歴史家。フランス国籍。1930年代に逮捕・投獄を体験。ハンガリーが反コミンテルン枢軸陣営に参加したのちフランスに亡命、抵抗運動に加わった。第二次世界大戦後、AFP通信社に入り、東欧問題の専門家として活躍。『人民民主主義の歴史』(1952。邦訳『スターリン時代の東欧』『スターリン以後の東欧』)、『民族社会主義革命』(1956)などの著書がある。[鈴木ケイ・伊藤高史]
『熊田亨訳『スターリン時代の東欧』(1979・岩波書店) ▽熊田亨訳『スターリン以後の東欧』(1990・岩波書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

フェイトの関連キーワードアンボン事件オランダ屋敷オランダ下りオランダ商館日記長崎県長崎市出島町アルマンスティツィングデュールコープフィッセルヘンミ

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone

フェイトの関連情報