フサイン‐マクマホン協定(読み)ふさいんまくまほんきょうてい(英語表記)Husayn-MacMahon Agreement

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フサイン‐マクマホン協定
ふさいんまくまほんきょうてい
Husayn-MacMahon Agreement

第一次世界大戦中の1915年10月24日、エジプト駐在イギリス高等弁務官マクマホンが、メッカシャリーフであるフサインとの5回にわたる往復書簡のなかで、シリア西部を除いたアラブ人居住のオスマン帝国領に、大戦終了後、独立国家を建設することを支持する約束を与えたもの(マクマホン宣言)。これは、イギリスがオスマン帝国内のアラブ人のナショナリズムを利用して蜂起(ほうき)させ、三国同盟側のオスマン帝国の内部崩壊によって戦争を有利に展開しようとの意図による。しかしこの協定は、イギリス、フランス、ロシア間でトルコ領の分割を決めたサイクス‐ピコ協定(1916)、あるいはパレスチナにユダヤ人国家の建設を約束したバルフォア宣言(1917)とはまったく矛盾するものであって、イギリス帝国時代の便宜主義的な外交典型として、また第一次大戦後から今日に至るまでの、複雑な中東問題の素地をつくったものとして非難されている。

[藤村瞬一]

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