翻訳|nationalism
かつては,民族主義,国民主義,国家主義などと訳し分けられることが多かったが,最近では一般にナショナリズムと表記される。このことは,ナショナリズムという言葉の多義性を反映し,そしてその多義性は,それぞれのネーションnationや,そのナショナリズムの担い手がおかれている歴史的位置の多様性を反映している。あえて一般的な定義をすれば,自己の独立,統一,発展をめざすネーションの思想と行動を指す。こうしたナショナリズムは,政治的であるだけにとどまらないが,政治的であることなしには成り立たない。
政治的ナショナリズムが国内政治や国際政治の重要な原動力となるのは近代以降だが,その主体であるネーションはそれ以前から,主として文化的共同体として存在した。この文化的民族と,政治的民族つまり民族国家との関係は,それ自体が政治的所産であって複雑だが,大別して三つの型がある。第1は政治・経済的先発先進国の場合で,イギリスがその代表例である。ここでは絶対王政を軸とした主権国家形成が先行し,それから文化的民族統一がなされた。英語のnationは国家と同意義であり,現実には国家は帝国を意味していた。第2の型は政治・経済的後発先進国で,ドイツ,イタリアなどがその例である。ここでは文化的民族の形成統一が先行し,それが統一国家形成を追求する主体となった。ここに,第1の型を追い上げる運動としてのナショナリズムが生まれる。その意味ではナショナリズムは後発国のイデオロギーであるといってよい。この点がいっそう明確なのは第3の型で,上述の第1と第2の型が近代史で帝国を形成したのに対し,近代において植民地化された社会がそれに当たる。この場合には,植民地帝国によって刻印された非主権的な統治機構が先行し,それに抵抗して文化的民族の形成や復権が主張されることになった。この場合,上からの統治機構の設定が先行し,政治の単位と文化の単位が一致しないという点で,第1と第3の型には共通性がある。ただ第1の場合には土着の支配的民族が国家形成を推進して統治機構を支えたのに対して,第3の場合には統治の枠組みは外来のものである。したがって,この枠組みに対して国境が画定された新興独立国家には,その国家に対応する土着民族が必ずしも存在せず,国家独立後,誰が支配的民族となるかをめぐって伝統的文化共同体ethnic groupsや部族間の激しい対立・闘争が展開され,〈民族なき国家〉の様相を呈することが少なくない。とくにアフリカおよびアジアの一部にこの傾向が著しい。このように,国家と民族との関係は,政治・経済的発展の格差と深く結びついている。
一般に,ナショナリズムは後発社会が先発国を追い上げる際の思想や行動であるが,相対的後発国がその追上げの過程で,より後発の社会を支配することが多く,この場合ナショナリズムが同時に帝国主義の性格を帯びる。日本の〈東亜新秩序〉樹立,ナチス・ドイツのヨーロッパ〈新秩序Neue Ordnung〉樹立の主張などはその例であり,東欧圏支配の秩序を正当化するソ連のブレジネフ・ドクトリン(1968)もこれに類する。しかし〈民族自決〉〈民族解放〉を掲げるそれら後発帝国は,不可避的に被抑圧民族の抵抗を触発せざるをえない。
ではなぜナショナリズムは,近代以降の世界史で,それほどまで強力な動因となったのだろうか。この過程はきわめて複雑であるが,あえて単純化すれば,そこには次のような力学の展開が認められる。
近代の歴史は一面において,社会内および社会間でのモノ,ヒト,情報の流動性が増大していく過程であった。それはミクロのレベルでの村落から都市への出稼ぎや離農から,マクロのレベルでの大航海時代をはじめとする大陸間の人口移動にまで及ぶ。この結果,必然的に経済的市場の単位が拡大し,ヒトと情報の流動範囲も拡大し,したがって政治的な統治と統合の単位も,それまでの領主支配の単位より拡大することになった。政治的統合の単位の拡大は,外在的および内在的な二つの理由で政治と土着文化との結合を強化する。一つには,政治単位の拡大は当然に他の政治単位との接触・摩擦を増大するから,そこに新たな国境の画定,領土国家territorial stateとしての正当な支配の単位の確立が必要になる。その際,それの正当性の基礎を提供するのが,土着的文化を共有する民族が国家の中核を構成するという事実である。
もう一つは,内在的な理由である。つまり政治・経済の基礎単位の拡大とは,伝統的な政治・経済の基礎単位をなしていた村落共同体が,人間の基本的な社会的帰属単位としてもっていた機能の衰退や崩壊をもたらす。その結果,社会の基底部分で,民衆が可視的な忠誠の対象を失って社会的に根なし草状況を生じ,心理的な根深い不安に陥る。伝統的人間関係の崩壊に伴い,社会的な役割や存在理由のイメージが失われることになる。まさにそうであればこそ,新しい忠誠の体系,新しい役割のイメージの創出が切実に要求され,そうした要求を満たす政治的な座標軸として〈民族国家〉が強い社会的支持と帰属感の対象となる。この場合,新しい大きな単位は,村落共同体的な具体的な人的結合体ではなく抽象的共同体であるから,それだけにいっそう,〈民族国家〉の正当性の基礎として,伝統的民族文化の継承あるいは復活という神話が用いられる。ナショナリズムが,〈近代化〉と〈復古・復興〉という2面を同時に内包することが多い理由はここにある。これは,民族のアイデンティティの保持と政治・経済的変革とを両立させる深層心理的転轍(てんてつ)装置であるといってよい。
それにしても,こうした転換は,伝統社会の混乱や崩壊を伴うだけに容易ではない。そこで,この転換を容易にするための上からの政治的転轍装置として登場するのが,新しい国家を具体的な人格に体現するカリスマ的政治指導者である。16~17世紀のヨーロッパにおける絶対君主,また中国の孫文,毛沢東,インドのガンディー,ネルー,インドネシアのスカルノ,キューバのカストロなど,その国の代名詞的存在として扱われる〈建国の父〉がそれに当たる。これによって新しい国家に対する被支配者の同一化identificationが促進され,〈国民〉が形成されていく。
ところでこうした国家(目標としての,あるいはすでに存在する)への同一化は,一般的にいって,民族の独立,統一,発展による国家形成を利益とする社会階層にとくに強く,そうでない階層の場合には同一化が弱いか,疎外感をもつことが多い。その意味で,ある歴史的時点でのある社会で,ナショナリズムの主たる担い手になる層は限られており,その意味でナショナリズムの成立範囲には限界がある。それには歴史的限界と構造的限界とがある。
歴史的限界についていえば,ヨーロッパで主権国家が成立したとき,それへの同一化の主たる担い手は絶対主義的官僚であった。ついで,とくにフランス革命後,それはブルジョア的市民層を包摂することになり,その後19世紀から20世紀にかけ,ナショナリズムの下限は政治体制の底辺を構成する労働者階級にまで及び,マス・ナショナリズムの時代を迎えた。先進国でナショナリズムが体制全体に貫徹するころ,ナショナリズムのイデオロギーは非欧米社会にも波及し,植民地のエリート層の忠誠は,帝国本国から離れて自民族へと転換されることになった。
第三世界,とくにアジアとアフリカのナショナリズムの展開は複雑多岐であるが,ごく概括的にいえば,まず従来植民地支配に協力してきた伝統的土着エリート層が〈自治〉の要求を出し,やがて植民地支配から疎外されていた伝統的エリート層や中間層が〈独立〉の旗印を掲げ,現地民衆を政治的に動員して一応の政治的独立を達成する。これを第1次ナショナリズムと呼べば,ラテン・アメリカでは19世紀前半から20世紀初めまでの時期に大半の国々が,またアジア,アフリカでは1970年代中ごろまでに大半の国々が,この過程を完了した。ついで,一方で国内での経済的格差の増大,他方で新興国エリート層の先進国への経済的従属の持続と対内的な政治的抑圧の強化という条件の下で,多くの国々で,自国の特権的支配層と,それに連携する外国勢力との双方に対抗する第2次ナショナリズムが,中間層の一部,労働者,農民などを担い手として展開されることになった。この過程は今日も続いている。
要するに,ナショナリズムの下限は,まず先進国で体制の上層から底辺にまで拡大され,ついで先進国から発展途上国に,そして発展途上国内で体制の上層から底辺へと拡大されるという歴史的変化をたどってきている。それは民衆の政治化が世界全体に浸透していく過程であるといってよい。しかし,ナショナリズムには仮にそれが体制の底辺まで開放されている場合でも,構造的限界が伴う。それは,民族国家への一体化や忠誠を拒否する基盤となるような,対抗座標軸の存在を指す。
その第1は,個人の良心と国家への忠誠との相克で,その端的な例は,パンイズムpan-ismであり,それに基づく兵役拒否である。これは,戦争という最も危機的な状況において国家やナショナリズムと厳しく対決する。第2は,自立した個人,あるいは個人の非権力的な連帯という原理に立脚して民族国家への忠誠を拒否するアナーキズムである。第3は,コスモポリタニズムである。アナーキズムが反国家であるのに比し,これは脱国家・脱民族の色彩が濃い。本来は世界大のアナーキズムの性格が強かったが,今日では多国籍企業の行動原理にも含まれている。第4は,家族主義である。これには伝統中国の遺産である大家族主義のような型もあれば,近代的小家族,現代的核家族のような型もある。家族主義は原理的につねに民族国家と対立するわけではないが,民族国家の名の下に家族に人的物的な犠牲が及ぶときに,国家との忠誠の相克を生じる。家族には血族的な要素があるだけに,いったん国家と対立した場合,強力な積極的抵抗か,国家への忠誠の消極的空洞化を示すことが少なくない。なおこのほか,階級と民族国家との相克が強調されたときもあったが,労働者階級へもナショナリズムが開放され,とくに福祉国家が成立するとともに,この相克が,階級の国際連帯という形をとる可能性は激減した。また一民族国家内の少数民族も,多くの場合,それ自身が民族の自決や自治を要求するという点で,ナショナリズムに原理的に対抗するものではない。
ところでナショナリズムの主たる担い手が,時と所により異なるということは,その担い手が誰であるかによって,ナショナリズムの政治的機能は多様であり,正反対でさえあることを物語っている。つまり体制の現状維持を有利とする勢力がナショナリズムの象徴に訴えるとき,それは保守的あるいは反動的ナショナリズムとなり,現状変革の勢力が担い手であるときには,革新的あるいは革命的ナショナリズムになる。ナショナリズムは,伝統的な土着文化と結合し,同時に近代の人間のアイデンティティにかかわる深層心理に根ざすだけに,非合理的・情動的に強く人々の思想と行動を左右する力をもつ。したがって,いかなる政治勢力がナショナリズムの象徴を独占したり操作したりするかは,政治のあり方に決定的な影響をもつことが少なくない。それだけに,ナショナリズムの呪術的な象徴によって,現実に誰のいかなる利益が擁護され,また擁護されていないかを見定めることが国民にとって重要である。現代では,民族国家を超えて,モノ,ヒト,情報が流動し,現代の問題を主権国家がどれだけ解決しうるかが問われているが,まさにそうした流動化状況のゆえに,人々の心理の深層に不安が強まり,民族や国家への回帰指向が復活するという傾向も軽視しえない力をもちうる。その意味で,ナショナリズムの政治的実態を的確に認識する必要は,今日も少しも減っていない。
→愛国心
執筆者:坂本 義和
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(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2008年)
(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)
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国民ないし民族という政治的共同体の価値を至上のものとして重視,尊重,宣伝する意識・運動をさす。近代においてフランス革命国家の意識に始まったが,それに対抗したドイツ,スペイン,ロシアなどでは対抗的な国民意識の高揚が起こった。帝国からの解放,他民族支配からの解放を求める意識・運動としても,オーストリアからの解放を求めたイタリアやイギリスからの解放を求めたアイルランドにみられた。やがて20世紀には欧米帝国主義,植民地主義からの解放を求めるアジア,アフリカ,ラテンアメリカの運動となった。ロシア革命をなしとげた共産主義者たちは世界革命のために反帝国主義のナショナリズムと結びつこうとした。しかし,新しく生まれたソ連は,民族の自決権を尊重する国家連合と称したが,民族的な自立傾向はナショナリズムとして否定的に扱われた。1930年代のナチズムは「国民社会主義」と称したように,ドイツ民族を至上のものとしてユダヤ人の大量抹殺をめざしたウルトラ・ナショナリズムであった。第二次世界大戦後,東欧に拡大した社会主義世界はソ連を盟主としており,これに抵抗する各国内の動きはナショナリズムの現れだと考えられる。社会主義の崩壊の過程で国際主義に代わってナショナリズムが強まった。最も悲劇的・病的な様相をみせたのは,ユーゴスラヴィアの民族浄化政策である。ユダヤ人のナショナリズムとしてのシオニズムがアラブ人を追い立てて民族の故地に自分たちの国家イスラエルを建設することをめざしたために,パレスチナ人との果てしない戦いを招来しているのもナショナリズムの悲劇である。ナショナリズムは歴史上大きな役割を演じ,歴史を左右したといえる。その作用には肯定的なものも否定的なものもあった。
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…この統一問題は,革命を通じて現れてきた社会問題とともにその解決はこの後の政治の大きな課題として残されたのである。【坂井 栄八郎】
[近代と伝統]
48年革命から第三帝国の崩壊にいたるドイツ近・現代史の1世紀は,〈ナショナリズム〉と〈社会主義〉を二つの軸として展開したといっても過言ではない。しかもこれら二つの問題は,ナチズムNationalsozialismusのドイツ征覇に端的に示されているように,相互に深くかかわるものであった。…
※「ナショナリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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