精選版 日本国語大辞典 「チャップリン」の意味・読み・例文・類語
チャップリン
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イギリス国籍の映画監督、俳優。4月16日、寄席(よせ)芸人歌手の両親のもとにロンドンに生まれる。母は4歳年上の義兄シドニーを抱いての三度目の結婚であったが、チャップリンが5歳のときに父が死亡、夫の死のショックで母は声を失って舞台を去り、シドニーは船のボーイとなる。母と2人暮らしのチャップリンは路上で踊り、投げ銭をもらうが、母は貧苦のあまり精神に異常をきたした。やがて兄は家に戻り、兄弟でドサ回り芝居に雇われ、犬猫の演技を舞台で演じた。17歳でパントマイム一座のフレッド・カーノ劇団に参加、1910年と1912年の2回の渡米巡演でキーストン映画社のマック・セネット監督に認められ映画界に入った。1914年、第一作『成功争ひ』のあと『ベニス海岸の自動車競争』撮影のとき、「ちょびひげ、どた靴、だぶだぶズボン、山高帽にステッキ」のスタイルを考案した。この年キーストンで35本の作品に出演したが、その12本目から脚本と監督も兼ねる。ついで翌1915年にはエッサネイ社で17本、1916~1917年ミューチュアル社で12本の作品を発表。喜劇にペーソスと社会風刺を加えるようになり、『番頭』『勇敢』『移民』はその代表作。1918年にファースト・ナショナル社に移り、『犬の生活』『担(にな)え銃(つつ)』『サニーサイド』『一日の行楽』『キッド』『のらくら』『給料日』『偽(にせ)牧師』を発表、喜劇と悲劇を同居させ、チャップリン映画の香りを高める。
1919年にD・W・グリフィス監督、メリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスとの4人でユナイテッド・アーティスツ社を創設。その第一作『巴里(パリ)の女性』(1923)は、長らく共演者であったエドナ・パービアンスのため自分は監督のみの悲恋運命ドラマを製作、映画史上の名作と絶賛を受けた。ついで『黄金狂時代』(1925)、『サーカス』(1928)、『街の灯(ひ)』(1931)、『モダン・タイムス』(1936)と、トーキー嫌いの彼はサイレントに固執し、サウンド版の『モダン・タイムス』に初めて「声」を入れたが、世界に通ぜぬ即興「ことば」で歌った。そして貧しい庶民の愛を描き続けた彼は、しだいに高度資本主義社会の人間疎外を告発し、現代文明への批判を強めていった。そしてヒトラーが勢力を伸ばしつつあった1940年にファシズムを弾劾する『チャップリンの独裁者』を発表、独裁者とユダヤ人理髪師の二役の完全トーキーに踏み込んだ。次の、帝国主義戦争を批判した『殺人狂時代』(1947)を製作するに至り、アメリカ保守派が彼を共産主義者とみなし、『ライムライト』(1952)のロンドン封切りにイギリスへ行ったチャップリンは、アメリカ政府に帰国を拒否された。理由は、『独裁者』『殺人狂時代』の内容と、いまだにイギリス国籍のこと、また未成年者を含むその結婚歴(最初が17歳のミルドレッド・ハリスで、次が16歳のリタ・グレイ、そして『モダン・タイムス』で共演したポーレット・ゴダードを経て、54歳で18歳のオナ・オニールと四度目の結婚をし、3男5女をもうけた)もその理由となった。しかしロンドンでは熱狂的歓迎を受け、のち1975年には女王からナイトの称号を受けた。その後はイギリスで製作を続け、『ニューヨークの王様』(1957)と唯一のカラー映画で監督のみで主演しない『伯爵夫人』(1966)の2作があるが、もはや往年の生彩はなかった。
チャップリンには第1回のアカデミー賞(1927~1928)で『サーカス』に対して特別賞が贈られているが、そのとき彼は授賞式に出席せず、以来オスカーとは縁がなかった。しかし彼がアメリカを去って20年後の1972年、アメリカ映画アカデミーは、チャップリンの多年の功労に対し改めてアカデミー特別賞を贈るため彼をハリウッドに招いた。これに応じて83歳のチャップリンは式場に姿をみせ、出席者全員の熱狂的拍手にこたえた。そのほかフランスのレジオン・ドヌール勲章をはじめ世界各国からの多くの栄誉を受け、15の部屋をもつスイス、ジュネーブ湖畔のベベーの邸宅で妻や多くの子供と孫に取り囲まれて余生を送った。その間、旧作の自作サイレント映画に自ら伴奏音楽をつける仕事に励み、1977年12月25日に88歳の生涯を閉じた。
[淀川長治]
成功争ひ Making a Living(1914)
ベニス海岸の自動車競走 Kid Auto Races at Venice(1914)
夕立 Between Showers(1914)
恋の二十分 Twenty Minutes of Love(1914)
キャバレー御難の巻 Caught in a Cabaret(1914)
ノックアウト The Knockout(1914)
メーベルの結婚生活 Mabel's Married Life(1914)
笑ひのガス Laughing Gas(1914)
小道具係 The Property Man(1914)
男か女か(仮面者) The Masquerader(1914)
両夫婦 The Rounders(1914)
チャップリンのパン屋 Dough and Dynamite(1914)
醜女の深情 Tillie's Punctured Romance(1914)
髭のあと Those Love Pangs(1914)
逢引きの場所 His Trysting Place(1914)
チャップリンの役者 His New Job(1915)
アルコール夜通し転宅 A Night Out(1915)
チャップリンの役者 His New Job(1915)
チャップリンの拳闘 The Champion(1915)
チャップリンの駆落 A Jitney Elopement(1915)
チャップリンの失恋 The Tramp(1915)
アルコール先生海水浴の巻 By the Sea(1915)
チャップリンのお仕事 Work(1915)
チャップリンの女装 A Woman(1915)
チャップリンの掃除夫 The Bank(1915)
チャップリンの船乗り生活 Shanghaied(1915)
チャップリンの寄席見物 A Night in the Show(1915)
チャップリンのカルメン Burlesque on Carmen(1915)
チャップリンの悔悟 The Police(1916)
チャップリンの替玉 The Floorwalker(1916)
チャップリンの消防士 The Fireman(1916)
チャップリンの放浪者 The Vagabond(1916)
午前一時 One A.M.(1916)
チャップリンの伯爵 The Count(1916)
チャップリンの番頭 The Pawnshop(1916)
チャップリンの舞台裏 Behind the Screen(1916)
チャップリンのスケート The Rink(1916)
チャップリンの勇敢 Easy Street(1917)
チャップリンの霊泉 The Cure(1917)
チャップリンの移民 The Immigrant(1917)
チャップリンの冒険 The Adventurer(1917)
犬の生活 A Dog's Life(1918)
公債 The Bond(1918)
担え銃 Shoulder Arms(1918)
サニーサイド Sunnyside(1919)
一日の行楽 A Day's Pleasure(1919)
キッド The Kid(1921)
のらくら The Idle Class(1921)
給料日 Pay Day(1922)
偽牧師 The Pilgrim(1923)
巴里の女性 A Woman of Paris(1923)
黄金狂時代 The Gold Rush(1925)
サーカス The Circus(1928)
街の灯 City Lights(1931)
モダン・タイムス Modern Times(1936)
チャップリンの独裁者 The Great Dictator(1940)
チャップリンの殺人狂時代 Monsieur Verdoux(1947)
ライムライト Limelight(1952)
チャップリンのニューヨークの王様 A King in New York(1957)
伯爵夫人 A Countess from Hong Kong(1966)
『中野好夫訳『チャップリン自伝』(1966・新潮社)』▽『『世界の映画作家19 チャールズ・チャップリン』(1973・キネマ旬報社)』▽『江藤文夫著『チャップリンの仕事』(1989・みすず書房)』▽『『世界の伝記26 チャップリン』(1995・ぎょうせい)』
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1889~1977
アメリカの喜劇映画俳優。イギリス出身。1913年渡米し映画界入り,ドタバタ喜劇の形式で「黄金狂時代」「モダン・タイムス」その他,現代の機械文明や不正を風刺した傑作を多数残す。第二次世界大戦後マッカーシズム期のアメリカを嫌って,晩年はスイスで過ごした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…彼は,寄席の道化師や軽業師によるどたばたに,洗練された軽妙なスタイルをもちこみ,製作,脚本,監督,主演を兼ね,第1次世界大戦前の大スターとなる。後述のチャップリンは,その口ひげ,よれよれのモーニング,ばねのように曲がる竹のステッキなどを,ランデルからヒントを得たといい,マック・セネット(1880‐1960)は,芸名のマックをマックスからとったと語っている。アメリカでは,D.W.グリフィスの相棒だったセネットが,12年に創立されたキーストン社の製作主任となり,やがて〈キーストン喜劇〉の黄金時代を迎える。…
…第2作《ぼくの伯父さんの休暇》(1952)以降の作品は,長身に寸たらずのズボン,パイプにこうもり傘といういでたちの,風来坊型の主人公ユロ氏Monsieur Hulotとその周辺の人々が,スプスティックほど激しくはない〈優雅な〉視覚(サイト)ギャグを演ずるという内容で,数々の賞を受けた。第3作《ぼくの伯父さん》(1958)が代表作で,機械文明をやんわり皮肉った笑いや,ユロ氏自身がほとんど口をきかないことなどから〈フランスのチャップリン〉とも呼ばれた。しかし,そのあまりにも浮世離れした〈毒〉のなさが,第4作の70ミリ大作《プレイタイム》(1967)の失敗を生み,彼を破産に追いこんだ。…
…1947年製作のアメリカ映画。チャールズ・チャップリン監督・主演。第1次大戦直後に現れたフランスの殺人鬼〈青ひげランドリュ〉の事件をチャップリン主演で喜劇化しようとしたもので,オーソン・ウェルズの原案による。…
…1940年製作のアメリカ映画。サウンド版の《モダン・タイムス》(1936)に続くチャールズ・チャップリンの最初のトーキー映画。チャップリンの4日後に同じ貧困と無名のうちに生まれ,チャップリンとはいわば正反対の方向に進んで世界制覇の野望に燃えたヒトラーとそのファシズムに対して,チャップリンが〈たった1人の戦争〉をいどんだ作品で,〈時代の歴史〉に対するもっとも痛烈な風刺喜劇として評価されている。…
…すなわち,メイエルホリドの演劇,ストラビンスキーとロシア・バレエ団(バレエ・リュッス),ピカソやルオーの絵画などである。 第1次大戦後に現れた新しい道化としては,チャップリンやキートンなど無声映画の喜劇俳優をあげなければならない。道化の古来の武器の一つであった身体言語が,新しいメディアによってめざましくよみがえったのである。…
…1931年製作のアメリカ映画。チャップリンが《サーカス》(1928)と《モダン・タイムス》(1936)の間につくった作品で,冒頭に〈コメディ・ロマンス・イン・パントマイム〉というタイトルをかかげている。サイレント映画は,ある民族の一つの言語にしばられない全世界に通ずる表現形式であり,30年あまりかかって完成された純粋に視覚的な新しい芸術形式である,と考える原則的トーキー反対論者のチャップリンが,伴奏音楽と音響だけを入れた〈サウンド映画〉の第1作である。…
…1936年製作のアメリカ映画。チャールズ・チャップリン製作・脚本・監督・主演。《街の灯》(1931)と《チャップリンの独裁者》(1940)の間につくられた作品で,チャップリンはせりふなしで意味不明の歌詞を歌って声のみ聞かせる。…
…日本ではユナイト映画の略称でも通じている。1919年,当時のアメリカの代表的映画人であったチャールズ・チャップリン,俳優のダグラス・フェアバンクス,女優のメリー・ピックフォード,監督のD.W.グリフィスの4人によって設立された。実業家ではなく〈アーチスツ(芸術家たち)〉による最初の映画会社で,質的にすぐれた映画の製作を目的に,ハリウッドの〈撮影所システム〉に従属せず,みずからの手で製作資金を調達し,みずからの手でその作品を配給することをモットーとし,撮影所も所有せずに必要に応じて施設を借り,むだな間接費をはぶく政策をとった。…
※「チャップリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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