ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
バルフォア宣言
バルフォアせんげん
Balfour Declaration
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1917年11月2日、イギリス外相バルフォアが、第一次世界大戦に際してユダヤ人の支援を取り付けるため、戦後パレスチナにユダヤ人の国家を建設することに同意した宣言。これはユダヤ系イギリス人の銀行家でシオニスト連盟会長であるロスチャイルド卿(きょう)にあてた書簡のなかで表明された。しかしこの宣言は、アラブ人に戦後の独立国家建設を約束したフサイン‐マクマホン協定(1915)、イギリス、フランス、ロシアの間で中東のトルコ領分割を取り決めたサイクス‐ピコ協定(1916)のいずれとも矛盾するものであった。同宣言に対しアメリカはただちに、18年にはフランス、イタリアも支持を表明した。
[藤村瞬一]
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…シオニズム運動を政治的に組織化したのはウィーンのジャーナリスト,テオドール・ヘルツルで,彼は1897年,スイスのバーゼルで世界シオニスト機構を結成した。当時パレスティナを含むアラブ東部世界はオスマン・トルコ帝国の支配下にあったが,第1次世界大戦中にイギリスは,ドイツに荷担して敵国となったトルコの勢力をそぐため,一方では1915年にアラブの指導者であったメッカのシャリーフ(太守)フサインにアラブの独立を約束してトルコへの反乱をそそのかし(フサイン=マクマホン書簡),他方17年には戦争への在欧米ユダヤ人の支持を得たいというねらいもあって,パレスティナにユダヤ人の〈民族的郷土〉を樹立することを支持する旨の宣言(バルフォア宣言)を発した。この宣言はユダヤ国家の樹立を目ざすシオニストたちを大いに勢いづけることになったが,半面,イギリスのこうした二枚舌外交が,後にアラブ・イスラエル紛争を激化させる大きな要因となった(パレスティナ問題)。…
…シオニズム運動は,バーゼルでの第1回シオニスト会議(1897)により世界シオニスト機構を設立して組織的統一を果たし,ヘルツルをその指導者としたが,第1次世界大戦以前はユダヤ教徒のなかでも,少数者の夢想とあざけられ,神に対する冒瀆と非難され,あるいは反ユダヤ主義を刺激するものと批判され,少数者の運動でしかなかった。 それが〈パレスティナでのユダヤ人の民族的郷土national home樹立に賛成する〉というイギリス政府のバルフォア宣言(1917)によって,にわかに国際政治における有力な要素となるにいたったについては,東方問題をめぐる帝国主義列強の角逐との関連を見のがすことはできない。同宣言の成立はワイツマンらの努力によるところ大であったとはいえ,イギリスがドイツとの戦争においてその戦略的優位を確保し,またフランスをおさえ,さらにアラブ・ナショナリズムを牽制しようとするための帝国主義戦争遂行上の政策の一環をなすものであった。…
…ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。 しかし,シリアの権益を争うイギリス,フランスは,すでに戦時中の1916年に秘密裡にサイクス=ピコ協定を結び,戦後の両国の勢力圏を取り決め(図1),さらにイギリスは,ユダヤ人のシオニズム運動にも希望をもたせ,パレスティナへの入植を許し,バルフォア宣言によってユダヤ人国家建設の糸口を与えていた。両国は20年のサン・レモ会議と21年のカイロ会議において,シリア,イラクの委任統治権を旧連合国に承認させ,フランスは,ファイサル1世をシリアから追放した。…
… 1915年10月2日のブルガリアの同盟国側への参戦,16年8月27日のルーマニアの連合国側への参戦にさいしても,それぞれの側から領土獲得の密約が結ばれた。小アジアの分割へのイタリアの参加を保障した17年4月17日のサン・ジャン・ド・モーリエンヌ協定,さらにアラブ国家の建設を約束した1915年10月24日のマクマホン宣言(フサイン=マクマホン書簡)と,ユダヤ人の国家再建に同意した17年11月2日のバルフォア宣言――,これらの密約が連合国側の重要な秘密外交の成果として注目されるが,日本も秘密外交を展開していた。日本は軍事的には連合国の一員として行動していたが,外交的には複雑な態度をとり,敵国ドイツともひそかに舞台裏で秘密裡に接触を保っていた。…
…とくにロンドンでは今日でもなお金融界に大きな力を振るっている。 ロスチャイルド家はまたユダヤ教徒の重鎮と目されており,1917年のバルフォア宣言はロンドンの当主ライオネル・ウォルターLionel Walter R.(1868‐1937)にあてられている。〈ユダヤ人による世界支配の陰謀〉という反ユダヤ主義者の宣伝のなかで,ロスチャイルド家はそのような悪の権化とみなされ,1936年ナチス・ドイツのオーストリア占領とともにウィーンのロスチャイルド家は没落を余儀なくされた。…
※「バルフォア宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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