第1次大戦中の1917年に,イギリス外相A.J.バルフォアが発表したもの。1916年のサイクス=ピコ協定およびフサイン=マクマホン書簡は,パレスティナに関するかぎり,フランスおよびアラブの発言権を認め,イギリスの意図する単独支配を困難にした。イギリスは,17年,この困難を克服する役割を,イギリスの支配下でパレスティナをユダヤ国家にしようともくろむシオニスト組織に見いだした。イギリスは,シオニスト指導部にフランスを説得させたうえで,11月2日,バルフォア外相から英国シオニスト連盟会長ロスチャイルド卿あての書簡の形で〈パレスティナにユダヤ人の民族的郷土を設立する〉のに賛成した。これがいわゆる〈バルフォア宣言〉である。アラブ側の反発を考慮して,宣言の文言にはユダヤ国家建設をうたわず,〈非ユダヤ人(アラブ人)社会の市民的・宗教的および政治的地位は損なわない〉とのただし書きがつけられた。しかしこの宣言は,事実上イギリスの対アラブ公約を破るものであり,イギリスの帝国主義的意図に便乗したシオニストに,ユダヤ国家建設の糸口を与えるものとなり,パレスティナ問題の発端となった。
執筆者:前田 慶穂
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第一次世界大戦中の1917年,イギリスの外相バルフォアがオスマン帝国領であったイェルサレム地域にナショナル・ホームの建設を約束したもの。敵国オスマン帝国の弱体化を図り,ユダヤ人の戦争協力に感謝するねらいがあったが,イギリスはすでに15年同地域のアラブ人にもフサイン‐マクマホン書簡で同様な約束をしていた。またフランスとは,16年サイクス‐ピコ協定でその地域の国際管理に同意していたため問題となり,これが今日に至るまでのパレスチナ問題の原因となった。
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…自治領諸国は,第1次世界大戦中軍事協力を通して本国に対する地位を向上させ,両者の関係は植民地的従属関係から対等な立場で結合する連邦体制へと発展しつつあった。こうした変容を反映し,帝国会議は1926年に,〈本国と自治領はそれぞれ地位の平等な自治社会であり,王冠に対する共通の忠誠により自由に連合している〉と定義したバルフォア報告を採択し,30年には自治領総督を象徴的存在とする決議を行った。ウェストミンスター憲章は,これらの決定を翌31年イギリス議会が立法化したもので,イギリス連邦の根本を規定した。…
※「バルフォア宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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