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バルフォア宣言 バルフォアせんげんBalfour Declaration

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バルフォア宣言
バルフォアせんげん
Balfour Declaration

1917年 11月2日イギリス外相 A.バルフォアが,パレスチナにおけるユダヤ人の民族的故郷の建設を支持した宣言。バルフォアはそれをシオニズム運動の財政的な後援者であった L.ロスチャイルドにあてた書簡のなかで明らかにした。この内容は,16年にフランス,ロシア,イギリス間で結ばれた秘密条約であるサイクス=ピコ協定とは明らかに矛盾するものであったが,イギリス政府のねらいはユダヤ人世論を連合国側にひきつけ,あわせてユダヤ人のパレスチナ入植を通じて中東政策の布石を固めることであった。同宣言は 20年のサン・レモ会議でイギリスの正式政策とされ,22年に国際連盟がパレスチナ地方をイギリスの委任統治領としたとき,その前文に同宣言が含められた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

バルフォア宣言

第1次世界大戦中の1917年11月2日、英国のアーサー・バルフォア外相が、富豪ロスチャイルド卿宛ての書簡にしたためた宣言。「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を樹立することを支持する」と明言した。英国がアラブ人の独立国家を支持した15年の「フサイン・マクマホン協定」、オスマン帝国が領有する中東地域を英仏ロ3国の勢力圏にするとした16年の「サイクス・ピコ協定」と合わせ、「三枚舌外交」と言われる。

(2017-11-14 朝日新聞 朝刊 2外報)

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百科事典マイペディアの解説

バルフォア宣言【バルフォアせんげん】

第1次大戦中の1917年,英国外相バルフォアパレスティナにユダヤ民族国家建設を認めると約束した宣言。トルコに対する作戦基地確保のためユダヤ人の協力を期待して発せられた。
→関連項目シオニズム第1次世界大戦ワイツマン

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世界大百科事典 第2版の解説

バルフォアせんげん【バルフォア宣言】

第1次大戦中の1917年に,イギリス外相A.J.バルフォアが発表したもの。1916年のサイクス=ピコ協定およびフサイン=マクマホン書簡は,パレスティナに関するかぎり,フランスおよびアラブの発言権を認め,イギリスの意図する単独支配を困難にした。イギリスは,17年,この困難を克服する役割を,イギリスの支配下でパレスティナをユダヤ国家にしようともくろむシオニスト組織に見いだした。イギリスは,シオニスト指導部にフランスを説得させたうえで,11月2日,バルフォア外相から英国シオニスト連盟会長ロスチャイルド卿あての書簡の形で〈パレスティナにユダヤ人の民族的郷土を設立する〉のに賛成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バルフォア宣言
ばるふぉあせんげん
Balfour Declaration

1917年11月2日、イギリス外相バルフォアが、第一次世界大戦に際してユダヤ人の支援を取り付けるため、戦後パレスチナにユダヤ人の国家を建設することに同意した宣言。これはユダヤ系イギリス人の銀行家でシオニスト連盟会長であるロスチャイルド卿(きょう)にあてた書簡のなかで表明された。しかしこの宣言は、アラブ人に戦後の独立国家建設を約束したフサイン‐マクマホン協定(1915)、イギリス、フランス、ロシアの間で中東のトルコ領分割を取り決めたサイクス‐ピコ協定(1916)のいずれとも矛盾するものであった。同宣言に対しアメリカはただちに、18年にはフランス、イタリアも支持を表明した。[藤村瞬一]

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世界大百科事典内のバルフォア宣言の言及

【イスラエル[国]】より

…シオニズム運動を政治的に組織化したのはウィーンのジャーナリスト,テオドール・ヘルツルで,彼は1897年,スイスのバーゼルで世界シオニスト機構を結成した。当時パレスティナを含むアラブ東部世界はオスマン・トルコ帝国の支配下にあったが,第1次世界大戦中にイギリスは,ドイツに荷担して敵国となったトルコの勢力をそぐため,一方では1915年にアラブの指導者であったメッカのシャリーフ(太守)フサインにアラブの独立を約束してトルコへの反乱をそそのかし(フサイン=マクマホン書簡),他方17年には戦争への在欧米ユダヤ人の支持を得たいというねらいもあって,パレスティナにユダヤ人の〈民族的郷土〉を樹立することを支持する旨の宣言(バルフォア宣言)を発した。この宣言はユダヤ国家の樹立を目ざすシオニストたちを大いに勢いづけることになったが,半面,イギリスのこうした二枚舌外交が,後にアラブ・イスラエル紛争を激化させる大きな要因となった(パレスティナ問題)。…

【シオニズム】より

…シオニズム運動は,バーゼルでの第1回シオニスト会議(1897)により世界シオニスト機構を設立して組織的統一を果たし,ヘルツルをその指導者としたが,第1次世界大戦以前はユダヤ教徒のなかでも,少数者の夢想とあざけられ,神に対する冒瀆と非難され,あるいは反ユダヤ主義を刺激するものと批判され,少数者の運動でしかなかった。 それが〈パレスティナでのユダヤ人の民族的郷土national home樹立に賛成する〉というイギリス政府のバルフォア宣言(1917)によって,にわかに国際政治における有力な要素となるにいたったについては,東方問題をめぐる帝国主義列強の角逐との関連を見のがすことはできない。同宣言の成立はワイツマンらの努力によるところ大であったとはいえ,イギリスがドイツとの戦争においてその戦略的優位を確保し,またフランスをおさえ,さらにアラブ・ナショナリズムを牽制しようとするための帝国主義戦争遂行上の政策の一環をなすものであった。…

【シリア】より

…ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。 しかし,シリアの権益を争うイギリス,フランスは,すでに戦時中の1916年に秘密裡にサイクス=ピコ協定を結び,戦後の両国の勢力圏を取り決め(図1),さらにイギリスは,ユダヤ人のシオニズム運動にも希望をもたせ,パレスティナへの入植を許し,バルフォア宣言によってユダヤ人国家建設の糸口を与えていた。両国は20年のサン・レモ会議と21年のカイロ会議において,シリア,イラクの委任統治権を旧連合国に承認させ,フランスは,ファイサル1世をシリアから追放した。…

【第1次世界大戦】より

… 1915年10月2日のブルガリアの同盟国側への参戦,16年8月27日のルーマニアの連合国側への参戦にさいしても,それぞれの側から領土獲得の密約が結ばれた。小アジアの分割へのイタリアの参加を保障した17年4月17日のサン・ジャン・ド・モーリエンヌ協定,さらにアラブ国家の建設を約束した1915年10月24日のマクマホン宣言(フサイン=マクマホン書簡)と,ユダヤ人の国家再建に同意した17年11月2日のバルフォア宣言――,これらの密約が連合国側の重要な秘密外交の成果として注目されるが,日本も秘密外交を展開していた。日本は軍事的には連合国の一員として行動していたが,外交的には複雑な態度をとり,敵国ドイツともひそかに舞台裏で秘密裡に接触を保っていた。…

【ロスチャイルド家】より

…とくにロンドンでは今日でもなお金融界に大きな力を振るっている。 ロスチャイルド家はまたユダヤ教徒の重鎮と目されており,1917年のバルフォア宣言はロンドンの当主ライオネル・ウォルターLionel Walter R.(1868‐1937)にあてられている。〈ユダヤ人による世界支配の陰謀〉という反ユダヤ主義者の宣伝のなかで,ロスチャイルド家はそのような悪の権化とみなされ,1936年ナチス・ドイツのオーストリア占領とともにウィーンのロスチャイルド家は没落を余儀なくされた。…

※「バルフォア宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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