シャリーフ(その他表記)sharīf

改訂新版 世界大百科事典 「シャリーフ」の意味・わかりやすい解説

シャリーフ
sharīf

〈高貴な血筋の人〉を意味するアラビア語複数形アシュラーフashrāf)。イスラム以前のアラブ社会でシャリーフと自称し,また他者からもそうみなされた家系は少なからずあった。イスラム以後では,この語はもっぱら預言者ムハンマドの家族の子孫に用いられ,もっともよく知られるのは,10世紀以降20世紀にいたるまでメッカ市政をつかさどった第4代カリフのアリーの子,ハサンの系統をひくシャリーフ家である。ただその範囲は,たとえば彼の叔父アッバースの子孫を含めるか否かなど,時代宗派そして地方により異なり,ほぼ同義語となったサイイドとの区別もさまざまである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャリーフ」の意味・わかりやすい解説

シャリーフ
sharīf

高貴な家柄の人をさすアラビア語。複数はアシュラーフ ashrāf。一般には預言者ムハンマドの一族の子孫をさすが,時代や地域や宗教的な立場により,ムハンマド一族の範囲は異なる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャリーフ」の解説

シャリーフ

サイイド

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世界大百科事典(旧版)内のシャリーフの言及

【アラウィー朝】より

…フィラーリーFilālī(ターフィーラールトTāfīlālt出身者の意)朝,フィラール朝ともよぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方に来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサンの血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。聖者崇拝思想の発展とポルトガルやスペインに対する排外的なジハード(聖戦)意識の高揚を土台に,ムハンマド・アッシャリーフをスルタンとしてターフィーラールトに建国(1631),40年には,アラウィー家のムハンマド・ブン・ムハンマドは,周辺地域を含む王とみとめられた。…

【タリーカ】より

…北アフリカではこのようなバラカをもつ聖者やその継承者がマラブー(マラブート)と呼ばれた。このような聖者崇拝には,シャリーフと呼ばれるムハンマドの子孫に対する崇拝が結びついているのが普通で,タリーカの聖者やシャイフはシャリーフであることが多い。 タリーカの社会的役割としては,民衆にとっての身近な社会集団との結びつきが強かったため,正統的イスラムのシャリーア(イスラム法)による一般的・抽象的な社会統合を補完しえたことが注目される。…

【マグリブ】より

…これらの外的要因と並行して地域社会の内部では,混血が進みアラビア語が普及していった。それと同時に,14世紀末から活発化するポルトガルやスペインの侵攻および内政の混乱に直面すると,各地にシャリーフ(ムハンマドの子孫)を名のる指導者が出現し,アラブ血統意識を高揚させた。この血統意識は実際の血筋がどうであれ,アラブと自覚する者を増加させた。…

【メッカ】より

… アッバース朝(750‐1258)が衰えると,メッカはエジプト・シリアを支配する王朝(ファーティマ朝,アイユーブ朝,マムルーク朝など)の保護下におかれる場合が多くなる。このような場合でも,メッカの実際的な市政は,アリーの子ハサンの系統のシャリーフが担当してきた。16世紀以後はオスマン帝国のスルタンがメッカの保護者であったが,シャリーフが市政担当者であったことはそれ以前と変りがない。…

※「シャリーフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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