勝沼宿(読み)かつぬましゆく

日本歴史地名大系 「勝沼宿」の解説

勝沼宿
かつぬましゆく

[現在地名]勝沼町勝沼

甲州道中宿駅で、江戸から三一里二六町、東の駒飼こまかい宿(現大和村)からは一里二一町、同宿と合宿の鶴瀬つるせ宿(現同上)からは一里三町、西の栗原くりばら宿(現山梨市)へは三一町三六間(宿村大概帳)。甲州道中では元和四年(一六一八)新規に宿駅が設定されているが、当宿もこのとき宿役を命ぜられた(同年「勝沼宿新規宿役請証文」坂本久美恵家文書)宿村大概帳によると、東の柏尾かしお村境から西の等々力とどろき村境までの往還の長さは一六町二六間であったが、宿内の町並は東西一二町であった。かみ町には本陣が一軒、脇本陣が一軒、ほん町には脇本陣が一軒あり、旅籠屋が二三軒(大五・中七・小一一)あった。なか町には高札場が一ヵ所ある。人馬継問屋場も同町に一ヵ所あり、問屋一人・年寄五人・馬指一人。問屋場には毎日各一人ずつ詰めており、大通行の際には全員で勤めていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の勝沼宿の言及

【勝沼[町]】より

…中央本線勝沼駅は1993年勝沼ぶどう郷駅に改称。【横田 忠夫】
[勝沼宿]
 甲斐国の宿場町。地名は,武田信虎の弟信友(1535没)がこの地に館を構え,勝沼氏を称しているので,これに先行することは明らか。…

※「勝沼宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」