原三渓(読み)はら さんけい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原三渓」の解説

原三渓 はら-さんけい

1868-1939 明治-昭和時代前期の実業家
慶応4年8月23日生まれ。原善三郎の孫娘屋寿(やす)と結婚,生糸貿易商をつぐ。横浜三渓園をつくって古建築を移築し,収集した美術品を展示した。また小林古径,前田青邨(せいそん)らを援助。茶人としても知られた。昭和14年8月16日死去。72歳。美濃(みの)(岐阜県)出身旧姓青木。名は富太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の原三渓の言及

【三渓園】より

…横浜市中区本牧三ノ谷に所在する庭園。本牧海岸には三つの谷があり,西から3番目の谷を中心として19haの広さをもつ。地域内もいくつかの谷が刻まれ,この自然の山と谷を生かして,低地に池を掘り中島をきずくものの,人工の目立たない庭園である。横浜を中心に活躍した実業家また美術収集家,茶人でもあった原富太郎(号は三渓,1868‐1939)がつくったもので,外苑と内苑に分かれ,内苑には旧紀州徳川家別業の臨春閣,二階楼閣をもつ聴秋閣,茶室春草蘆等の三渓の収集になる重要文化財建築がある。…

※「原三渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」