大久保忠世(読み)おおくぼただよ

改訂新版 世界大百科事典 「大久保忠世」の意味・わかりやすい解説

大久保忠世 (おおくぼただよ)
生没年:1532-94(天文1-文禄3)

徳川家康の部将。大久保小田原藩祖。通称新十郎。大久保氏の宗家忠俊の弟忠員(ただかず)の嫡男。三河国上和田郷に生まれる。若年より家康の父広忠に仕え,織田氏との合戦に功があった。永禄末年,一手役(ひとてやく)(一軍団を預かる部将)となった。長篠の戦など武田氏との合戦にも戦功多く,遠州二俣城を与えられた。関東入部後,相州小田原で4万5000石の大名となる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保忠世」の解説

大久保忠世 おおくぼ-ただよ

1532-1594 戦国-織豊時代の武将
天文(てんぶん)元年生まれ。大久保忠員(ただかず)の長男。徳川家康につかえ,三河(愛知県)の一向一揆(いっき),三方原,長篠(ながしの)の戦いなどで戦功をたてる。天正(てんしょう)3年武田軍をやぶり,遠江(とおとうみ)(静岡県)二俣城主となる。18年家康の関東入国後,小田原城主となった。4万5000石。文禄(ぶんろく)3年9月15日死去。63歳。三河出身。通称は新十郎,七郎右衛門。

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世界大百科事典(旧版)内の大久保忠世の言及

【小田原藩】より

…相模国(神奈川県)足柄下郡小田原に藩庁を置いた譜代中藩。1590年(天正18)大久保忠世が小田原4万石を領したのに始まり,忠世,忠隣(ただちか)の2代に検地の実施,酒匂(さかわ)川大口堤の修築,酒匂堰の開削等に意を注いだが,1614年(慶長19)忠隣改易によって城は番城,領地は幕府代官が預かった。その後阿部正次が一時在城した後,32年(寛永9)老中稲葉正勝が下野国真岡より移封(8万5000石),その子正則が老中のかたわら藩領経営に全力をあげ,小田原藩政の基礎を築いた(10万3000石,後11万3000石)。…

※「大久保忠世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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