彰仁親王(読み)アキヒトシンノウ

デジタル大辞泉 「彰仁親王」の意味・読み・例文・類語

あきひと‐しんのう〔‐シンワウ〕【彰仁親王】

[1846~1903]幕末から明治時代皇族。伏見宮邦家親王の第8王子。陸軍大将・元帥。維新後、東伏見宮と称し、さらに小松宮改称議定軍事総裁参謀総長などを務めた。

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朝日日本歴史人物事典 「彰仁親王」の解説

彰仁親王

没年:明治36.2.18(1903)
生年:弘化3.1.16(1846.2.11)
幕末明治期の皇族,軍人。伏見宮邦家親王の第8子。母は景子,生母は堀内信子。嘉永1(1848)年1月仁和寺門跡を相続,安政5(1858)年3月親王宣下で嘉彰の名を受ける。慶応3(1867)年12月王政復古により復飾,議定となる。翌明治1(1868)年鳥羽・伏見の戦では征討大将軍,次いで会津征討越後口総督となり奥州鎮定に当たる。同2年戊辰戦争の功により賞典禄1500石を下賜。軍務官知事,兵部卿など軍務関係の職を歴任し,同3年より英国留学。江藤新平率いる佐賀の乱では征討総督として進発,西南の役にも出征した。同15年,東伏見宮より小松宮と改称し彰仁と改名。23年陸軍大将,近衛師団長,参謀総長を務めたほか,博愛社総長,大日本水産会会頭などを歴任。

(保延有美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「彰仁親王」の解説

彰仁親王 あきひとしんのう

小松宮彰仁親王(こまつのみや-あきひとしんのう)

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