後藤縫殿助(読み)ごとうぬいどのすけ

精選版 日本国語大辞典 「後藤縫殿助」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ぬいどのすけ【後藤縫殿助】

江戸幕府呉服師。呉服後藤と呼ばれた。
[一] 初代。名は松林徳川家康に三河時代から仕える。生没年未詳。
[二] 二代。名は忠正通称、源左衛門。江戸日本橋屋敷を受けて移住呉服町呉服橋の名は、ここに由来する。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤縫殿助」の解説

後藤縫殿助 ごとう-ぬいのすけ

?-? 江戸時代前期の商人
祖父松林は徳川家康の呉服御用達(ごようたし)をつとめ,父忠正,兄忠直,弟吉勝は武家として家康,秀忠,家光につかえる。祖父の業務をついで幕府呉服師となり,寛永4年(1627)家光より縫殿助の称をあたえられる。以後代々筆頭呉服師としてこの称は継承された。名は益勝。

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世界大百科事典(旧版)内の後藤縫殿助の言及

【呉服師】より

…将軍の側近にあって身辺の御用を務めていた関係から,私的にきわめて親近な関係にあり,利権にありつくことも多かった。1603年(慶長8)の幕府の成立時には,後藤縫殿助,茶屋四郎次郎,亀屋栄任らが徳川家康の側近として重宝がられていたが,慶長末より元和年間にかけて尾州茶屋新四郎,上柳,三島屋の3軒が追加され,呉服師6軒仲間が成立した。その中心は後藤,茶屋で,各200石の禄高と役宅が与えられていた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」