慧春(読み)えしゅん

朝日日本歴史人物事典 「慧春」の解説

慧春

没年:応永15(1408)
生年:生年不詳
室町時代の曹洞宗の尼。相模国大住郡糟谷荘(神奈川県伊勢原市)の生まれで,俗姓は藤原氏と伝える。能登総持寺16世で相模大雄山最乗寺(南足柄市大雄町)を開創した了庵慧明の妹。30歳を過ぎてから出家を決意し,兄を師に求めたところ一蹴されたので,焼け火箸を顔に押し当てて決意のほどを示し,ついに得度を許されたという。以後,日夜兄のもとに参禅して印可を受け,晩年は大雄山麓の摂取庵に居住して,旅人を接待したと伝える。なお,鎌倉円覚寺への使いを進んで引き受け,法問答で相手の臨済僧を喝破したり,死期を悟るや,最乗寺の山門前に薪を積み上げて棚を作り,そこに座って火定したと伝えられるなど,最後まで逸話の多い人物であった。<参考文献>嶺南秀恕『日本洞上連灯録』,曹洞宗尼僧史編纂会編『曹洞宗尼僧史』,三山進『太平寺滅亡―鎌倉尼五山秘話―』

(牛山佳幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報