戸田尊次(読み)とだ たかつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田尊次」の解説

戸田尊次 とだ-たかつぐ

1562-1615 織豊-江戸時代前期の武将,大名
永禄(えいろく)5年生まれ。戸田忠次(ただつぐ)の子。徳川家康のもとで小牧長久手(ながくて)の戦い,関ケ原の戦いに出陣。慶長6年伊豆(いず)下田(静岡県)より三河(愛知県)田原城にうつり,田原藩主戸田家初代となる。1万石。慶長20年大坂夏の陣に出陣したが,7月7日京都で病没。54歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田尊次の言及

【戸田氏】より

…近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」