池田忠継(読み)いけだ ただつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田忠継」の解説

池田忠継 いけだ-ただつぐ

1599-1615 江戸時代前期の大名
慶長4年2月18日生まれ。池田輝政(てるまさ)の次男。母は徳川家康の娘督姫(とくひめ)(良正院)。家康寵愛(ちょうあい)をうけ,慶長8年わずか5歳で備前1国28万石をあたえられ,岡山藩主初代となる。幼少のため異母兄の利隆が藩政代行。12年松平姓をゆるされる。18年姫路藩主をついだ利隆から播磨(はりま)の宍粟(しそう)・佐用(さよ)・赤穂(あこう)の3郡10万石を分与され,38万石を領した。慶長20年2月23日死去。17歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の池田忠継の言及

【播磨国】より

…旧国名。播州。現在の兵庫県西南部。
【古代】
 山陽道に属する大国(《延喜式》)で,その東端に位置した。明石,賀古,印南(いなみ),飾磨(しかま),揖保(いいぼ),赤穂,佐用,宍粟(しさわ),神崎,多可,賀茂,美囊(みなき)の12郡よりなる。国司四等官のうち大国にのみ置かれる大目(だいさかん)が712年(和銅5)に播磨国にいるので(《続日本紀》),8世紀初めより大国であったことがわかる。国府は《和名抄》によれば飾磨郡にあり,所在地はいまの姫路市で,姫路城の東または南東部と推定される。…

【備前国】より

…旧国名。現在の岡山県の東南部。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。7世紀後葉の天武朝ころに吉備国が分割されて備前,備中,備後となった。713年(和銅6)に備前北部の6郡を割いて美作国がおかれ,邑久(おおく),赤坂,上道(かみつみち),御野,津高,児嶋の6郡となったが,721年(養老5)藤原郡(のち藤野郡さらに和気郡と改称),788年(延暦7)磐梨(いわなす)郡がおかれて8郡となった。国府は岡山市国府市場(こくふいちば)付近と推定され,国分寺は山陽町馬屋(まや)に確かめられ,国分尼寺は山陽町穂崎付近に比定されている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」