兵庫県西部の市。2005年4月一宮(いちのみや),千種(ちくさ),波賀(はが),山崎(やまさき)の4町が合体して成立した。人口4万0938(2010)。
宍粟市北東部の旧町。旧宍粟郡所属。1956年4月,神戸,染河内,下三方の3村が合体,一宮町となり,同年9月に三方・繁盛両村を編入。人口1万0600(2000)。面積213.6km2は,かつて神戸市,姫路市に次ぎ県内第3位。標高1000mをこえる中国山地の山中にあり,揖保(いぼ)川およびその支流の三方川が峡谷をなして南流し,揖保川沿いに因幡街道(現,国道29号線)が通じる。町域の大半は山林で,江戸時代は天領であったこともあり美林が多く,林業が盛んで,木材,木製品の生産が多い。就業人口の約半数がそうめんの製造や電気機械などの製造業に従事するが,町内企業は零細なものが多い。1976年の台風17号による山津波で甚大な被害をこうむった。須行名に播磨国一宮伊和神社があり,町名はこれにちなんでつけられた。
宍粟市北西部の旧町。旧宍粟郡所属。人口4029(2000)。町域の大部分は中国山地の三室山,後山(うしろやま)など標高1000m級の山々に占められ,中央部を南流する千種川沿いにわずかに耕地が分布する。中心の千草は志引峠を越えて美作と結ぶ街道の宿駅であった。古くから砂鉄の産地として知られ,江戸幕府の直轄製鉄所跡がある。農林業とともに,そうめんの製造,スキー場やゴルフ場などの観光業にも力を入れている。氷ノ山(ひようのせん)後山那岐山国定公園に含まれる北部の三室高原には野外活動センターがあり,キャンプ場なども整備されている。
宍粟市北部の旧町。旧宍粟郡所属。人口4860(2000)。標高1000mをこえる中国山地の山岳地帯にあり,山林が町域の大部分を占める。揖保(いぼ)川上流の引原川沿いに水田と集落がわずかに分布し,鳥取と姫路を結ぶ因幡街道(国道29号線)が川沿いに通じる。北部の戸倉地区を中心に杉などの国有林が広がり,林業が主産業となっているが,農林業従事者は激減し,播磨工業地域への通勤者や進出してきた下請工場への就業者が増えている。1958年に完成した多目的の引原ダムは,播磨工業地域へ給水を行っている。県立自然公園に指定されている音水(おんずい)渓谷や国定公園の氷ノ山山系に広がる戸倉スキー場,新戸倉スキー場などに京阪神から訪れる人が多い。
宍粟市南部の旧町。旧宍粟郡所属。人口2万5971(2000)。揖保川の中流,中国山地の山中にあり,町域の大部分を山林が占める。中心集落の山崎は揖保川の谷口集落で,山陽と山陰を結ぶ因幡街道(国道29号線)に沿う。14世紀半ばに赤松氏が現在の市街地の北西方に篠の丸城(山城)を構えた。江戸初期には池田氏3万8000石,その後城主の交替等があって,17世紀後半からは本多氏1万石の城下町(山崎城)となった。豊富な森林資源をいかした林業,山崎こけしなどの木工業が盛んで,林業試験場(現,県立農林水産技術総合センターの森林林業技術センター)もある。谷沿いの平野では酒造米,果樹,野菜のほか,サツキなどの花木の栽培が行われる。中国自動車道の山崎インターチェンジが設置されたことから,電気機械などの企業進出もみられる。花菖蒲園,大歳神社の千年藤がある。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
兵庫県中西部にある市。北西部を鳥取県・岡山県と接する。2005年(平成17)、宍粟郡山崎町(やまさきちょう)、一宮町(いちのみやちょう)、波賀町(はがちょう)、千種町(ちくさちょう)が合併して市制施行、宍粟市となる。市名は郡名による。市域の大部分は中国山地の支脈がなす山間地で、播磨灘(はりまなだ)に注ぐ揖保(いぼ)川の水源地帯。揖保川、および引原(ひきはら)川、伊沢(いさわ)川などの支流が山峡を南に流れ、南端部に狭小な山崎盆地が開ける。西端部は同じく播磨灘に注ぐ千種(ちくさ)川の最上流域。国道29号が南北に走り、これに交差して中央部を429号が、南端部を中国自動車道が通り、同自動車道の山崎インターチェンジがある。
揖保川流域は早くから開け、上流右岸の一宮町三方町(みかたまち)では、縄文時代から中世にかけての大規模な集落跡である家原遺跡(えばらいせき)が発見された。引原川を合わせる中流域には『播磨国風土記』に播磨国でもっとも活躍する神として描かれる伊和(いわ)大神を祀る伊和神社が鎮座。近くにある伊和中山古墳群は、伊和大神を奉祀する伊和一族との関連が指摘される。伊和神社は、のちに播磨国一宮とされる。同社の南方には古代末期から中世にかけて、皇室領の石作(いしつくり)(石造)荘、柏野(かしわの)荘が成立。室町時代には播磨守護赤松氏の家臣宇野氏が両荘に勢力を伸ばす。宇野氏は戦国期には長水(ちょうずい)城を拠点とし、1580年(天正8)豊臣秀吉に滅ぼされるまで宍粟郡を支配したとみられる。1587年ごろに町立が行われた山崎の地に、1615年(元和1)姫路(ひめじ)藩主池田輝政の4男輝澄が宍粟郡3万8千石を与えられて入封し、山崎藩が成立。以後、山崎は城下町として発展した。千種川の流域は、古代より鉄の産地として知られた。中世には九条家領佐用(さよ)荘に含まれ、南北朝期には同荘から勢力を伸ばした赤松氏が千草鉄(宍粟鉄)を押えたとみられる。1488年(長享2)には将軍足利義尚の命令に応じて守護赤松政則が「千草鉄」20駄を運上している。千種川の流域には、たたら製鉄所跡など、中世以降、巷間に喧伝された千草鉄にかかわる遺跡も多い。
地場産業は森林資源を利用した伝統のある木材・木工製品・家具等の生産。近年は氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)、音水(おんずい)ちくさ県立自然公園に指定される豊かな自然を活用した観光農林業振興にも力を入れ、ちくさ高原ネイチャーランド、フォレストステーション波賀などの施設がある。1527年(大永7)建立の御形神社(みかたじんじゃ)本殿は国指定重要文化財。面積658.54平方キロメートル、人口3万4819(2020)。
[編集部]
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