清原王(読み)きよはらおう

朝日日本歴史人物事典 「清原王」の解説

清原王

生年生没年不詳
奈良時代の官人。系譜は不明。天平神護2(766)年12月,従五位下,のち内礼正を務めたが,官位を剥奪される。理由はわからないが,藤原仲麻呂の乱(764)に加わった可能性がある。宝亀2(771)年閏3月に本位に復す。以後,大膳亮,大炊頭,越後守などを歴任。天応1(781)年11月には従五位上,延暦4(785)年5月右大舎人頭。

(寺崎保広)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原王」の解説

清原王 きよはらおう

?-? 奈良時代の官吏
天平神護(てんぴょうじんご)2年(766)無位から従五位下,3年内礼正(ないらいのかみ)となる。のち位階を剥奪され,宝亀(ほうき)2年従五位下に復す。少納言,越後守(えちごのかみ)などをへて,従五位上,右大舎人頭(おおとねりのかみ)。浄原王ともかく。

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