福永彦左衛門(読み)ふくなが・ひこざえもん

朝日日本歴史人物事典 「福永彦左衛門」の解説

福永彦左衛門

没年:文化5.4.17(1808.5.12)
生年:元文2(1737)
江戸後期の町役人。号は驪彭(里方とも)。越後国直江津(新潟県上越市)の豪商福永家第8代。同家7代十三郎の弟塩坪長右衛門の次男嗣子のない十三郎の養子になる。養父の跡を継いで約30年間大肝煎(初め見習)の役にあった。在任中の大事業に直江津港の修築がある。宝暦1(1751)年地震の被害が大きすぎて直江津港は本格的な復興工事がなされずにいたが,彦左衛門は奔走苦闘のすえ江戸幕府に訴え,国役普請で築港することに成功,天明8(1788)年工事は完成した。しかし翌年と翌々年の洪水で港口が大破したため再び国役普請を仰ぎ,寛政6(1794)年ようやく地震後43年目に港町体面をとりもどした。<参考文献>白銀賢瑞『直江津町史

(中村辛一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報