西禅寺(読み)さいぜんじ

日本歴史地名大系 「西禅寺」の解説

西禅寺
さいぜんじ

[現在地名]大洲市手成

宇都宮貞泰の部将津々喜谷行胤が、康永二年(一三四三)定室祖定を開山として手成てなるに創建した名刹。臨済宗東福寺派。山号は横松山。本尊は如意輪観世音菩薩。一五世紀半ば頃六代津々喜谷高行、七代延行の代に、山門・仏殿・須弥壇など七堂伽藍が建立され、末寺その他を合わせて五七の寺をもち隆盛をきわめた。一一代高盛の頃から宇都宮氏・津々喜谷氏の没落に伴って寺運は衰微し、数次の火災によって焼亡、再建改築など変遷を経て現在に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界の観光地名がわかる事典 「西禅寺」の解説

さいぜんじ【西禅寺】

中国の福建省の省都、福州フーチョウ)市の西郊外、怡山(いさん)の永欽里にあり、887年に建てられた、福州五大禅寺の一つ。当初は「長慶寺」と呼ばれた。戦乱により何度も破壊されたが、信者の寄付金によって再建された。中国最大の玉仏を安置した玉仏楼は必見で、報恩塔からは寺全体を見渡すことができる。寺院内のおもな建築物は、天王殿、大雄宝殿、羅漢閣、法殿など。寺院内には玉佛楼1棟が新設され、楼内にはミャンマーから運んできた大白玉佛2体が納められている。

出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報