須弥山をかたどった壇の意で,仏堂内で仏像群や厨子(ずし),宮殿(くうでん)などを安置し荘厳(しようごん)する壇。古代には切石,塼(せん)または木造で壇上積(だんじようづみ)基壇と呼ばれる形を用いた。石造では床面に地覆(じふく)を置き,束(つか)を立てて上縁に葛(かつら)をめぐらし,間に羽目を入れる。羽目に格狭間(こうざま)や浮彫を付したり,地覆下に蓮座を置くもの,上面に波文塼を敷くものもあった。木造も同様で,上下に框(かまち)を張り,この間に束を立て羽目板をはめ,上縁に高(勾)欄をめぐらす。平安時代に仏堂内が多く板張りの床となると木造須弥壇が一般的になり,中尊寺金色堂のように漆塗り螺鈿仕上げに飾金具を施すものもある。鎌倉時代に禅宗が導入されると,唐様(禅宗様)須弥壇が用いられた。これは下端に短い猫脚(ねこあし)をもち,下框の上に凹凸の繰形(くりかた)を重ねて中ほどの胴幅を狭め,ここに竪溝のある短い束を入れ,羽目に唐草文様を付した。その上はふたたび繰形を重ねて上面が広くされていたが,厨子,宮殿を置くことが多い。また上縁に胡麻殻決り(ごまがらしやくり)の逆蓮柱をもつ蕨手(わらびて)高欄をめぐらす。また繰形を略式にして羽目に格狭間を用いたりする折衷様須弥壇も現れた。
→台座
執筆者:沢村 仁
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仏殿内で仏像や仏龕(ぶつがん)を安置するため設けた高い壇。仏像の台座の一つである須弥座と同義である。帝釈天(たいしゃくてん)の住むという須弥山(しゅみせん)をかたどったもので、須弥山形の上に仏像を安置するのは、古くインドでも行われていた。四角、八角または円形の、一重か二重の壇で、多くは上縁には勾欄(こうらん)がある。奈良時代までは仏堂が土間であったため、須弥壇も石造や漆食(しっくい)造で、低いものが多い(法隆寺夢殿八角壇、新薬師寺の円形漆食壇、薬師寺や唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂の石造矩形(くけい)壇)。平安時代になると仏堂の板敷にあわせて須弥壇も木造となった。普通は上下の框(かまち)の間に束(つか)を立て、束と束の間に板をはめ、格狭間(こうざま)が設けられるが、密教建築では壇が高く、上に厨子(ずし)が設けられることが多い。また平等院鳳凰堂(ほうおうどう)や中尊寺金色堂などは漆塗りに蒔絵(まきえ)・螺鈿(らでん)などを施し、金銅の飾り金具を使用した豪華な遺品である。鎌倉時代には、宋(そう)風に倣って繰形(くりがた)を多く使用し、細かい段を重ねて腰細にした禅宗様の形式が生まれた。その代表例は建長寺のもので、腰部の蹴込(けこ)みには獅子(しし)や唐草(からくさ)が彫り出され、上縁には禅宗様独特の勾欄が置かれている。
[佐藤昭夫]
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…室町以後は透彫の彫刻を入れたものが現れてくる。
[仏壇]
奈良時代の仏堂は土間であるから,仏壇(須弥壇(しゆみだん))は石を使い,壇上積み基壇と同様につくられる。板敷ができてから木製になるが,構造は同様で上下の框と束からなり,その間に板をはめる。…
…したがってこれを荘厳具と規定するにはいささか議論のあるところであるが,今日では一般に仏の荘厳具と同一視されている。 (2)の仏堂の荘厳具としては,まず須弥壇(しゆみだん)がある。仏教で説く須弥山をかたどったものといい,仏像を安置し,これを支える壇である。…
※「須弥壇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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