アジア=アフリカ人民連帯会議(読み)アジア=アフリカじんみんれんたいかいぎ(英語表記)Conference of Afro-Asian Peoples' Solidarity

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アジア=アフリカ人民連帯会議
アジア=アフリカじんみんれんたいかいぎ
Conference of Afro-Asian Peoples' Solidarity

1957年 12月 26日~58年1月1日エジプトのカイロで開催された反帝国主義,反植民地主義を目指すアジア,アフリカ諸国の民間団体代表者会議。アジア 26ヵ国,アフリカ 19ヵ国の約 500人が出席して,核実験の禁止,帝国主義非難,平和十原則平和五原則遵守の確認,人種差別反対など,政治,経済,文化各分野での反帝国主義,反植民地主義運動の綱領を決定した。アジア=アフリカ人民連帯機構の定期大会の性格をもっているが,67年に開催予定だった第5回会議場を北京からアルジェに移した問題をきっかけに中国派の反発が高まり,分裂状況に陥った。 84年には 12年ぶりに第6回大会が開催されたが,その後はとだえている。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

アジア−アフリカ人民連帯会議
アジア−アフリカじんみんれんたいかいぎ
Afro-Asian People's Solidarity Conference

1957年アジア,アフリカの45か国がカイロで開いた会議
1955年のバンドン十原則を確認,カイロ宣言を発表した。1960年代以降はアジアからアフリカに中心が移り,第2回はギニアコナクリで開かれ反植民地主義を明確にし,第3回はタンガニーカモシで開かれた。このときキューバカストロの影響で運動がラテンアメリカにも拡大されていくこととなった。第4回はガーナのウィンネバで開かれたが,このころ米軍がヴェトナムに対する介入を強めていたことから,反帝国主義の性格がより強められ,また第3回の決議を実現するため1966年にハバナでアジア−アフリカ−ラテンアメリカ人民会議を開くことを決定した。第5回は1967年に北京で開かれる予定であったが,中ソ対立の激化により中止となった。

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