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1955年4月、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で採択された共同宣言。バンドン十原則ともいう。〔1〕基本的人権と国連憲章の尊重、〔2〕主権と領土保全の尊重、〔3〕人種・国家の平等、〔4〕内政不干渉、〔5〕国連憲章に基づく個別的・集団的自衛権の尊重、〔6〕大国を利する集団防衛体制反対、〔7〕相互不侵略、〔8〕国際紛争の平和的解決、〔9〕協力の促進、〔10〕正義と国際義務の尊重、である。このような平和五原則と国連憲章をあわせた世界平和の諸原則は、新興独立国の外交政策と連帯の基本として、国際政治を動かす力となったが、その後、この原則の主唱国であった中国・インドの国境紛争をはじめ、第三世界諸国間の紛争が激化して、平和十原則はその意義を弱めていった。
[安藤正士]
1955年に開かれたアジア・アフリカ会議の「世界平和と協力の推進に関する宣言」で提示された世界平和実現のための十原則。軍縮,核兵器廃絶をめざし,諸国家の平和共存を実現することをうたう。具体的には,基本的人権・主権の尊重,人種と国家の平等,内政不介入,国連憲章による個別的集団的自衛権の尊重と紛争の平和的解決,大国主導の集団的防衛協定の排除,など。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…この結果これらの5原則は,〈現在の世界にみられる緊張した情勢を緩和し,平和の空気をつくりあげるための原則〉として,周=ネルー共同声明のなかにもうたわれ,全世界に向かって〈平和の5原則〉として打ち出された。なおこの平和の5原則は中国の毛沢東主席によって,国際連合の基本精神として1944年に構想されたもの,といわれるが,55年インドネシアのバンドンで開かれた第1回アジア・アフリカ会議は,この原則をふまえ,さらに発展させて〈平和十原則〉を打ち出した。【蠟山 芳郎】。…
※「平和十原則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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