平和五原則(読み)ヘイワゴゲンソク(英語表記)five principles for peace

デジタル大辞泉 「平和五原則」の意味・読み・例文・類語

へいわ‐ごげんそく【平和五原則】

1954年、インド首相ネルーと中国首相周恩来との共同声明の中にもられた両国の国交の五つの原則。相互の領土と主権の尊重、相互不可侵内政不干渉、平等互恵、平和的共存からなる。

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精選版 日本国語大辞典 「平和五原則」の意味・読み・例文・類語

へいわ‐ごげんそく【平和五原則】

  1. 〘 名詞 〙 一九五四年、チベットをめぐって、中国・インド間の協定なかで示された、領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存から成る両国国交の五つの原則。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平和五原則」の意味・わかりやすい解説

平和五原則
へいわごげんそく
five principles for peace

1954年4月 29日の「中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインドの間の通商,交通に関する協定」において初めて国際的に明示された原則。 (1) 領土,主権の相互尊重 (のちに主権および領土保全の相互尊重) ,(2) 相互不可侵,(3) 相互の内政不干渉,(4) 平等互恵,(5) 平和共存,の5項目から成る。6月 28日周恩来首相とネルー首相は中国=インド共同声明を発表し,平和五原則を両国間の関係を導く原則とすることを再確認するとともに,それだけにとどまらず,この五原則を他の国々との関係にも適用すれば平和地域をつくるのに役立ち,戦争の可能性を少くすることが可能であることなどを指摘した。五原則が注目される点は,第一に,これらの原則を唱えながら他国を分割,支配してきた抑圧国の側からではなくて,長年の間植民地,従属国として抑圧されてきた国々によって声明されたことであり,第二に,当時の冷戦状況のなかで,冷戦の緩和と平和地域の確立を目指したことである。したがって,冷戦を否定し緊張緩和を望む諸国民には歓迎されたが,アメリカ政府およびその同盟者には歓迎されなかった。この原則はその後,主としてアジア諸国によって支持され,6月 29日ビルマウー・ヌ首相と周恩来首相の共同声明,10月ネルー首相とベトナム民主共和国ホー・チ・ミン大統領の共同声明でも確認され,55年4月バンドンで開かれた第1回アジア=アフリカ会議では平和五原則を具体化した十原則が採択され,次第に諸国家間の平和共存を具体的に規定する世界的原則に発展していった。 72年2月アメリカの R.ニクソン大統領の訪中の際発表された米中共同声明 (→上海コミュニケ ) でも,平和五原則を認め合い,9月の日中共同声明でも,この原則を両国間に適用することを確認した。

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改訂新版 世界大百科事典 「平和五原則」の意味・わかりやすい解説

平和五原則 (へいわごげんそく)

中国の周恩来とインドのネルーのあいだで確認された国際関係規制の原則。1954年4月中国とインドの両国政府間に結ばれた〈チベット・インド間の通商および交通に関する協定〉は,中印両国の今後の関係を規制する新しい原則として,(1)領土・主権の尊重,(2)対外不侵略,(3)内政不干渉,(4)平等互恵,(5)平和的共存の原則五つを列挙した。続いてその2ヵ月後インドを訪問した中国の周恩来首相は,その演説のなかでこれらの5原則に言及し,〈5原則は中印両国にとってばかりでなく,われわれと同じ道を歩もうとする他の国々にとっても,好ましいものである。もしこのような原則がいっそう広い範囲で認められるならば,戦争への恐怖は消滅し,国家間の協力精神は拡大されるだろう〉と述べ,インドのネルー首相の賛同を得た。この結果これらの5原則は,〈現在の世界にみられる緊張した情勢を緩和し,平和の空気をつくりあげるための原則〉として,周=ネルー共同声明のなかにもうたわれ,全世界に向かって〈平和の5原則〉として打ち出された。なおこの平和の5原則は中国の毛沢東主席によって,国際連合の基本精神として1944年に構想されたもの,といわれるが,55年インドネシアのバンドンで開かれた第1回アジア・アフリカ会議は,この原則をふまえ,さらに発展させて〈平和十原則〉を打ち出した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平和五原則」の意味・わかりやすい解説

平和五原則
へいわごげんそく

中国の周恩来(しゅうおんらい)首相とインドのネルー首相との間で、1954年6月に発表された共同声明のなかで合意した次の五原則をいう。〔1〕領土・主権の相互尊重、〔2〕相互不可侵、〔3〕相互内政不干渉、〔4〕平等互恵、〔5〕平和共存である。

 これより先、同年4月に、中印双方は北京(ペキン)で「中印両国の中国チベット地方とインドの間の通商、交通に関する協定」を結び、その前文に上記の五原則が明記され、この際、インドはチベットにもっていた特殊権益を放棄した。インド側は平和五原則をパーンチ・シーラPanch Shilaとよび、中印両国首相はこの原則が両国とアジアおよび世界の他の国家との関係にも適用されることを提唱した。中国はビルマ(現ミャンマー)、ベトナムとも平和五原則を両国関係を処理する原則とすることを確認し、さらに平和五原則を中国外交の基本原則とすることを内外に宣言した。1955年のバンドン会議ではこの五原則を基礎に平和十原則が確認され、アジア・アフリカ新興国の国際原則とされたが、その後、62年に中印両国で国境問題をめぐって武力衝突が起こり、79年に中国がベトナムへの大規模な武力侵攻を行ったことにより、平和五原則は色あせたものとなった。

[安藤正士]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「平和五原則」の解説

平和五原則(へいわごげんそく)
five principles of peace

1954年4月に中国とインドの間で合意された国家間の平和共存の原則。中国のチベット地方とインド間の貿易,文化交流に関する協定の前文に示された。領土保全および主権の相互不干渉,相互不侵略,内政不干渉,平等互恵,平和的共存をうたう。冷戦下で中国,インドともにこの原則を広く世界に適用しようとする構想を持ち,同年6月の周恩来ネルーの会談後の共同声明で世界に発表された。翌年インドネシアで行われた第1回アジア・アフリカ会議では,世界平和と協力の推進に関するバンドン十原則(平和十原則)が採択されたが,その採択に大きな影響を与えた。その後62年の中国‐インド間の国境戦争,冷戦構造の深化と非同盟運動の退潮などで理念の影響力は低下したが,中国では80年代から,インドでは冷戦終結後の90年代以降,平和共存の基本原則として再評価されている。

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百科事典マイペディア 「平和五原則」の意味・わかりやすい解説

平和五原則【へいわごげんそく】

1954年中国の周恩来とインドのネルーが締結した〈チベット・インド間の通商・交通協定〉の中でうたわれた中国・インド国交原則。領土主権の尊重,不可侵,不干渉,平等互恵,平和的共存の五つ。後に両国はこれを広く世界諸国間の国交確立の基礎とすることを主張,世界平和確立と国際緊張緩和の重要な指針となった。1955年のアジア・アフリカ会議は,この原則をさらに発展させ〈平和十原則〉を唱えた。
→関連項目日中共同声明

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旺文社世界史事典 三訂版 「平和五原則」の解説

平和五原則
へいわごげんそく

ジュネーヴ会議休会中の1954年6月,中国首相周恩来とインド首相ネルーがニューデリーで会談し,その共同声明で示された国際平和のための5つの原則
(1)領土・主権の尊重,(2)相互不可侵,(3)内政不干渉,(4)平等互恵,(5)平和共存をいい,アジア・アフリカ諸国の共感を呼び,1955年のアジア−アフリカ会議など,国際政局に大きな影響を与えた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「平和五原則」の解説

平和五原則
へいわごげんそく

1954年6月,インドのネルー首相と中国の周恩来首相とが共同声明した,領土・主権の相互尊重,相互不可侵,相互内政不干渉,平等互恵,平和共存の五原則
ジュネーヴ会議の休会中,米・ソ二つの世界の対立の中で非同盟のアジア・アフリカ民族の立場から掲げた平和の原則。

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