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中国の周恩来とインドのネルーのあいだで確認された国際関係規制の原則。1954年4月中国とインドの両国政府間に結ばれた〈チベット・インド間の通商および交通に関する協定〉は,中印両国の今後の関係を規制する新しい原則として,(1)領土・主権の尊重,(2)対外不侵略,(3)内政不干渉,(4)平等互恵,(5)平和的共存の原則五つを列挙した。続いてその2ヵ月後インドを訪問した中国の周恩来首相は,その演説のなかでこれらの5原則に言及し,〈5原則は中印両国にとってばかりでなく,われわれと同じ道を歩もうとする他の国々にとっても,好ましいものである。もしこのような原則がいっそう広い範囲で認められるならば,戦争への恐怖は消滅し,国家間の協力精神は拡大されるだろう〉と述べ,インドのネルー首相の賛同を得た。この結果これらの5原則は,〈現在の世界にみられる緊張した情勢を緩和し,平和の空気をつくりあげるための原則〉として,周=ネルー共同声明のなかにもうたわれ,全世界に向かって〈平和の5原則〉として打ち出された。なおこの平和の5原則は中国の毛沢東主席によって,国際連合の基本精神として1944年に構想されたもの,といわれるが,55年インドネシアのバンドンで開かれた第1回アジア・アフリカ会議は,この原則をふまえ,さらに発展させて〈平和十原則〉を打ち出した。
執筆者:蠟山 芳郎
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中国の周恩来(しゅうおんらい)首相とインドのネルー首相との間で、1954年6月に発表された共同声明のなかで合意した次の五原則をいう。〔1〕領土・主権の相互尊重、〔2〕相互不可侵、〔3〕相互内政不干渉、〔4〕平等互恵、〔5〕平和共存である。
これより先、同年4月に、中印双方は北京(ペキン)で「中印両国の中国チベット地方とインドの間の通商、交通に関する協定」を結び、その前文に上記の五原則が明記され、この際、インドはチベットにもっていた特殊権益を放棄した。インド側は平和五原則をパーンチ・シーラPanch Shilaとよび、中印両国首相はこの原則が両国とアジアおよび世界の他の国家との関係にも適用されることを提唱した。中国はビルマ(現ミャンマー)、ベトナムとも平和五原則を両国関係を処理する原則とすることを確認し、さらに平和五原則を中国外交の基本原則とすることを内外に宣言した。1955年のバンドン会議ではこの五原則を基礎に平和十原則が確認され、アジア・アフリカ新興国の国際原則とされたが、その後、62年に中印両国で国境問題をめぐって武力衝突が起こり、79年に中国がベトナムへの大規模な武力侵攻を行ったことにより、平和五原則は色あせたものとなった。
[安藤正士]
1954年4月に中国とインドの間で合意された国家間の平和共存の原則。中国のチベット地方とインド間の貿易,文化交流に関する協定の前文に示された。領土保全および主権の相互不干渉,相互不侵略,内政不干渉,平等互恵,平和的共存をうたう。冷戦下で中国,インドともにこの原則を広く世界に適用しようとする構想を持ち,同年6月の周恩来とネルーの会談後の共同声明で世界に発表された。翌年インドネシアで行われた第1回アジア・アフリカ会議では,世界平和と協力の推進に関するバンドン十原則(平和十原則)が採択されたが,その採択に大きな影響を与えた。その後62年の中国‐インド間の国境戦争,冷戦構造の深化と非同盟運動の退潮などで理念の影響力は低下したが,中国では80年代から,インドでは冷戦終結後の90年代以降,平和共存の基本原則として再評価されている。
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