アリーパシャ(その他表記)Ali Paşa

改訂新版 世界大百科事典 「アリーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アリー・パシャ
Ali Paşa
生没年:1744ころ-1822

19世紀初めにオスマン帝国支配下の北部ギリシアと南部アルバニアに半ば独立の侯国を築き上げた豪族祖先は西アナトリアのキュタヒア出身のメウレウィー教団の修道者(デルウィーシュ)といわれる。祖父の代から現アルバニアのテペレナを足場に勃興し,彼の代にいたって,現在はギリシアに属するイオアニナを中心に,アドリア海沿岸からテッサロニキにいたるバルカン南西部を支配下におさめ,当時この地方に関心を寄せていたフランスと外交関係を結んでオスマン帝国のスルタンを牽制した。しかし,彼は支配権を確立する過程で,この地方のギリシア人,アルバニア人を圧迫し,また当時強力に中央集権化を進めていたオスマン帝国のマフムト2世の政策と対立したため,フルシト・パシャを総司令官とするオスマン軍団に攻められて戦死した。晩年,国際的にその名を知られた彼の“東洋的”な生活ぶりは,イオアニナを訪れたバイロンの出世作《チャイルド・ハロルドの遍歴》に主題の一つを提供した。彼の死後に残された200以上の農場チフトリキ)を含む莫大な遺産は,オスマン王家に没収された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アリー・パシャ
Ali Paşa, Tepedelenli

[生]1744
[没]1822
オスマン帝国末期,ヨアニナを中心に北部ギリシア,南部アルバニア一帯に勢力をもった豪族。 18世紀末にはヨアニナ城を本拠に半独立の侯国を樹立し,勢力を拡大した。 1820年以後,オスマン朝政府との関係が悪化するとマフムート2世フルシト・パシャ討伐に差向け,22年アリー・パシャは3人の息子ともども処刑された。ヨアニナ城陥落は,A.デュマ小説モンテ=クリスト伯』に題材を提供したといわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アリーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アリーパシャ
ありーぱしゃ

アリ・パシャ

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世界大百科事典(旧版)内のアリーパシャの言及

【イオアニナ】より

…町の名は11世紀に創設されたバプテスマのヨハネの名を冠した修道院に由来する。18世紀後半,オスマン帝国の地方官でありながら,たびたび本国に反抗してこの地方を独立国のごとく支配した英傑アリー・パシャの本拠地として栄えた。湖に突出した岬の上にかつての城砦がある。…

【マケドニア】より

…正式名称=マケドニア共和国Republika Makedonija∥Republic of Macedonia面積=2万5713km2人口(1994)=193万7000人首都=スコピエSkopje(日本との時差=-8時間)主要言語=マケドニア語,アルバニア語,トルコ語など通貨=デナルDenar旧ユーゴスラビアを構成した一共和国で,1991年11月に独立を宣言した。バルカン半島の中南部に位置し,周囲を山に囲まれた盆地の内陸国である。…

※「アリーパシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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