日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュマ」の意味・わかりやすい解説
デュマ(父)
でゅま
Alexandre Dumas (père)
(1802―1870)
フランスの劇作家、小説家。フランス北部の小さな町、ビレル・コトレ生まれ。父は退役将軍でデュマが4歳のとき亡くなり、たばこ屋を営む母の手で育てられた。1823年パリに出て、後の国王ルイ・フィリップの書記として働きながら、文学の修業に励んだ。29年『アンリ3世とその宮廷』Henri Ⅲ et sa Courがコメディ・フランセーズ座で上演され絶賛を博す。そこにみられる愛、陰謀、復讐(ふくしゅう)、暗殺といった筋立ては、当時隆盛期にあったロマン派演劇の特徴だったが、のちに彼によって発表される多くの長編小説の世界とも共通している。続いて31年に発表の『アントニー』Antonyも、社会体制への抵抗、抑えがたい情念といった主題で、ロマン派演劇の代表的傑作の一つとされている。戯曲はほかに『ネールの塔』(1832)、『キーン』(1836)などがある。
当時フランスでは歴史小説の一種のブームがみられたが、1840年代以降のデュマは、旺盛(おうせい)な創作力を長編歴史小説に注ぐこととなる。歴史小説といっても史実にはあまりこだわらず、劇作の場合と同じように、主として波瀾(はらん)に富んだ筋書きのおもしろさで読者をひきつける。剣豪ダルタニヤンを中心とする三部作『三銃士』(1844)、『二十年後』(1845)、『ブラジュロンヌ子爵』(1848~50)、そして『モンテ・クリスト伯』(1844~45)などが有名。なお、実生活でも奔放な性格の持ち主であり、『椿姫(つばきひめ)』の作者デュマ(子)は彼の私生児である。
[宮原 信]
『生島遼一訳『三銃士』全2冊(岩波文庫)』▽『笹森猛正訳『ブラジュロンヌ子爵』(1949・講談社)』▽『山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』(『世界文学全集14』所収・1969・集英社)』
デュマ
でゅま
Jean Baptiste André Dumas
(1800―1884)
フランスの有機化学者。フランス中南部のアレスの書記の子。コレージュで初等教育を受けたのち薬剤師に徒弟入り。その後ジュネーブに移る。そこでの研究が認められ、パリの理工科大学校(エコール・ポリテクニク)の化学復習教師に採用される(1823年。1835年から教授)。ほかにもソルボンヌ大学(パリ大学)(1841)、医科大学(1839)の教授に就任。工業技術学校の設立、『化学・物理学誌』の編集にも参加。また、二月革命ののちには政治にもかかわり、農商務大臣、元老院議員などの要職につく。1868年からは科学アカデミーの終身会長。フランスで初めて実験室教育を行い、多数の弟子を養成した。リービヒと並ぶ19世紀なかばごろの化学界の大立て者。
ガラスや染料などの化学技術や生理学を含む広範囲の研究を行った。とりわけ、現在も用いられている蒸気密度測定法(1826)と窒素定量分析法の開発や原子量の改定、同族列の概念を含む有機化合物の分類、置換の説(1834)と型の説(1840)の提唱は有機化学の創生に大きな貢献を果たした。当初ベルツェリウスの電気化学的二元論を支持していたデュマは有機化合物は塩基性部分および酸性部分からなると考えたが、化合物中の水素が塩素によって置換され、さらに酢酸の塩素置換物が同様の化学的性質をもつことから化合物の単一構造(型)説を唱えた。この説は弟子のジェラール(ゲルアルト)らによって新型の説に発展し、ついで有機化学構造論の展開をみることになる。
[肱岡義人]
デュマ(子)
でゅま
Alexandre Dumas (fils)
(1824―1895)
フランスの劇作家、小説家。アレクサンドル・デュマとベルギー生まれの裁縫女カトリーヌ・ラベーの私生児としてパリに生まれる。母親から受け継いだ堅実な市民性やモラルが、彼の作風を父とはまったく別のものにしたといわれる。年少のころから父の身辺の文学者たちと交わり、詩や小説を書き始める。社会の偏見に苦しんで歓楽街に青春を埋(うず)めた日々の体験から、初期の作品が生まれた。詩集『若気の過ち』(1847)、小説『椿姫』(1848)である。父の勧めで劇化された『椿姫』は、テーマを不道徳とする検閲官の偏見にあって初演(1852)までに数年を要したが、ボードビル座での初演は破格の成功を収め、以後デュマに問題劇作家という方向性を与えた。
贋(にせ)貴婦人の野心をくじく『半社交界(ドウミ・モンド)』le Demi-Monde(1855)、金力支配を攻撃する『金銭問題』(1857)、社会の偏見を糾弾する『私生児』(1858)、姦通(かんつう)問題を取り上げた『クロードの妻』(1873)など、一見してわかるように、第二帝政の享楽的・物質的社会が生み出すさまざまな悪への直接的攻撃である。彼自身の出生を原点とするこの厳しい道徳的欲求は、劇作家が裁判官や説教師の役を演じるとの批判も浴びたが、身近な問題性や華麗でリアルな描写が当時の観客には新鮮だった。今日これらの作品は、テーマの有効性は失われたが、第二帝政期の風俗資料としての価値をもつ。エミール・オージエとともに19世紀写実主義演劇を担う作家である。アカデミー会員。
[佐藤実枝]
『吉村正一郎訳『椿姫』(岩波文庫)』▽『新庄嘉章訳『椿姫』(新潮文庫)』