現代外国人名録2016 「アンディパートリッジ」の解説
アンディ パートリッジ
Andy Partridge
- 職業・肩書
- ミュージシャン
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1953年11月11日
- 出生地
- マルタ
- グループ名
- グループ名=XTC
- 学歴
- スウィンドン・カレッジ
- 経歴
- 英国海軍軍人であった父の勤務先である地中海のマルタ島で生まれ、1956年英国に帰国。少年時代からギターに憧れ、スウィンドン・カレッジ時代にはストレイ・ブルースというバンドを組んで活動した。’72年ベースのコリン・モールディング、ドラムスのテリー・チェンバースらとスター・パークを結成。’73年バンド名をヘリウム・キッズに変え、さらに ’75年XTCに改称し、’77年英国大手レコード会社ヴァージンからEP「3D・EP」でデビュー。’78年ファーストアルバム「ホワイト・ミュージック」を発表。デビュー当初はパンク・ニューウェーブ・ムーブメントの隆盛に乗りながら、トリッキーな演奏とソング・ライティングを持ち味とし、同時代の他のバンドとは一線を画すサウンドで徐々に人気を集めた。しかし’79年キーボードのバリー・アンドリューズが脱退。その後も旺盛にアルバム製作やライブ活動を行い、中でも「ブラック・シー」(’80年)、「イングリッシュ・セトゥルメント」(’82年)の2枚のアルバムはニューウェイブの傑作として高く評価されるが、やがてストレスからくるステージ恐怖症に苛まれ、同年からライブ活動を中止。以降は英国人らしくひねくれながらもメロディアスで上質なポップ・ミュージックに傾き、’86年トッド・ラングレンがプロデュースしたアルバム「スカイラーキング」がヒット。この間にも’80年に初のソロアルバム「テイク・アウェイ」を発表したほか、XTCによるいくつかの変名プロジェクトで活躍し、特に’87年にデュークス・オブ・ストラトスフィア名義で発表した「チップス・フロム・ザ・チョコレート・ファイアーボール」は’60年代後半のサイケ・ロック・サウンドを見事に再現し話題となった。しかし’92年アルバム「ノンサッチ」リリース後はヴァージンとの軋轢からアルバム製作を行わず、バンドもコリンとの2人組となり、レコード会社も移籍して’99年7年ぶりにアルバム「アップル・ヴィーナス VOL.1」を発表。2006年コリンがXTCから脱退。バンドでの活動の一方で、マーティン・ニューウェルやピーター・ブレグバドらのプロデュースなども手がけ、2003年ブレグバドとのコンビでポエトリー・リーディングのアルバム「オルフェウス」をリリースした。2013年エリカ・ウィッスラーのデビューアルバム「サンリット・ナイト」をプロデュース。XTCの他のアルバムに「GO2」「ビッグ・エキスプレス」「オレンジズ・アンド・レモンズ」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報