日本大百科全書(ニッポニカ) 「XTC」の意味・わかりやすい解説
XTC
えっくすてぃーしー
1980年代初頭のニュー・ウェーブ・ムーブメントを代表するイギリスのロック・ポップ・バンド。1973年ごろからスター・パーク、ヘリウム・キッズなどいくつかのバンド名で活動をしていた、アンディ・パートリッジAndy Partridge(1953― 、ボーカル、ギター)、コリン・ムールディングColin Moulding(1955― 、ベース)、テリー・チェンバーズTerry Chambers(1955― 、ドラム)の3人に、バリーアンドリュースBarry Andrews(1956― 、キーボード)が加入し、77年にXTCとしての活動が始まる。同年バージン・レコードよりシングル「3DEP」でデビュー、翌78年には最初のアルバム『ホワイト・ミュージック』を発表している。この時の作品はパンク・ロックの性急なビート感を特徴としていたが、2枚目の『GO2』(1978)からはダブの音響処理のテクニックを用いるようになる。その方向性は、アンドリュースが脱退し、代わりにデーブ・グレゴリーDave Gregory(1952― 、ギター、キーボード)を迎えて作られたアルバム『ドラムス・アンド・ワイアーズ』(1979)をパートリッジがリミックスし、ミスター・パートリッジMr. Partridge名義で発表した『テーク・アウェー』Take Away(1980)でも展開されている。こうしてXTCは、パンクから引き継いだ性急さとひねりの効いたポップ感覚、そしてダブの手法のような実験志向によって、80年代のロックに大きな影響を与えたニュー・ウェーブの音楽性を方向づけるバンドの一つとなった。
パートリッジの神経症のため82年を最後にライブ・ツアーを中止し、今後はライブ演奏を行わないと宣言した。同年、6枚目のアルバム『ママー』(1983)制作中にチェンバーズが脱退。これ以降は録音をベースに活動を行い、作品ごとに緻密になっていくアレンジと、録音技術を駆使して作り込まれたサウンドによって高い評価を得た。またバンド内でも中心メンバーであるパートリッジは、このころからウドゥントップスをはじめとして、ほかのアーティストのプロデュースも数多く手がけるようになった。
バンド名をデュークス・オブ・ストラトスフィアと変えて制作された『25オクロック』25 O'clock(1984)は、60年代のサイケデリック・ロックをパロディー化したようなサウンドがちりばめられ、彼らが影響を受けてきたビートルズやピンク・フロイドといったバンドへのオマージュとなっている。デュークス・オブ・ストラトスフィアの音楽性は、パンクやニュー・ウェーブのスタイルを基調としたXTCとは大きく異なっていたが、風刺やアイディアの豊富さという点で共通しており、3年後の『ソニック・サンスポット』とともにXTC同様の人気を獲得した。その一方でXTCとしては、8枚目のアルバム『スカイラーキング』(1986)でアメリカのミュージシャン、トッド・ラングレンTodd Rundgren(1948― )をプロデューサーに迎え、イギリスのみならずアメリカでも商業的成功を収めた。
しかし『ノンサッチ』(1992)を最後に新作の発表を停止し、96年にはバージンとの契約を解消している。その後グレゴリーの脱退を経て、7年ぶりのオリジナル・アルバム『アップル・ビーナスVol. 1』(1999)を制作。以後はパートリッジとムールディングの2人で活動を続けている。
[谷口文和]
『クリス・トゥーミィ著、藤本成昌訳『XTC――チョークヒルズ・アンド・チルドレン』(1993・新宿書房)』