アーイシャ(その他表記)`Ā’isha

改訂新版 世界大百科事典 「アーイシャ」の意味・わかりやすい解説

アーイシャ
`Ā’isha
生没年:613ころ-678

預言者ムハンマドの妻。父は初代カリフのアブー・バクル。ムハンマドの最初の妻ハディージャの死の直後婚約し,ヒジュラ後結婚した。結婚当時9歳であったと伝えられている。メディナ時代のムハンマドは10人を超える妻を迎えたが,アーイシャは実質的に最愛の妻の座にあった。ある時,姦通の疑いをかけられたが,神の啓示によりその潔白が証明され,逆に疑った人々が罰せられた。ムハンマドは彼女の膝の上で息を引き取り,彼女の部屋に埋葬された。夫の死後は再婚せず,他の妻とともに〈信徒の母〉と呼ばれた。子はなかった。第4代正統カリフのアリーと対立したが,ラクダの戦(656)に敗れた後は,政治に関与しなくなった。ムハンマドの言行スンナ)に関する多くの伝承後世に伝えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーイシャ」の意味・わかりやすい解説

アーイシャ
`Ā'isha

[生]614頃.メッカ
[没]678.7. メジナ
イスラムの預言者ムハンマドの3番目の妻。父は,初代カリフになったアブー・バクル。 10歳に満たない幼年でムハンマドに嫁し,一時は不注意からスキャンダルを起してメジナの反ムハンマド勢力から攻撃されたこともあったが,ムハンマドの妻たちのなかで最も深い寵愛を受けた。 18歳のときに子供がないままに寡婦となった。第3代カリフ,ウスマーン晩年から政治に関与しはじめ,第4代カリフ,アリー武力をもって対抗した。 656年 12月の「ラクダの戦い」でアリーに敗れて捕えられたのちは政治から遠ざかり,「信者の母」の一人として尊敬されながらメジナで 20年の余生を平穏におくった。

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