ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーダルベルト」の意味・わかりやすい解説
アーダルベルト[マインツ]
Adalbert von Mainz
[没]1137.6.25.
神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世,ロタール2世 (3世)時代のマインツ大司教 (在職 1111~37) 。大司教となる以前から皇帝ハインリヒの信任厚く,叙任権闘争 (→叙任権論争 ) において皇帝の外交政策を助けたが,にわかに転向して教皇側についたため,1112年 11月皇帝に逮捕された。マインツ市民の圧力で釈放されたのちは反皇帝派諸侯の指導者として活躍,ウォルムス政教条約の締結に大きな役割を演じた。ザクセン家のロタールの皇帝選挙に力をかしたことから,帝国書記長として教会諸侯の地位確立に貢献した。またマインツ大司教領の強化をはかり,エルフルトを拠点にその勢力をチューリンゲン地域まで拡大することに成功した。
アーダルベルト
Adalbert; Adelbert
[没]1072.3.16. ゴスラル
ハンブルク,ブレーメン大司教 (在職 1043~72) 。中世ドイツの典型的聖界諸侯の一人。ザクセンの著名な貴族の出身。 1043年ハンブルクとブレーメンの大司教に任命された。北ヨーロッパ各地に宣教団を派遣し,またみずからもスカンジナビアの教皇特使として布教活動を行い,自己の領国を北部ドイツの宗教的・政治的中心に高めようと努めた。神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世に重用され,その子ハインリヒ4世の幼時には後見人となるなど,帝国政治でも手腕をふるった。
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