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叙任権闘争 じょにんけんとうそう

大辞林 第三版の解説

じょにんけんとうそう【叙任権闘争】

中世ヨーロッパで行われた、聖職者の叙任権をめぐる教皇と世俗君主の争い。一一世紀後半、教皇グレゴリウス七世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ四世の対立で最高潮に達した。 → カノッサの屈辱

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百科事典マイペディアの解説

叙任権闘争【じょにんけんとうそう】

中世ヨーロッパにおいて聖職者の任命権をめぐる教皇と世俗君主,特に神聖ローマ皇帝との対立抗争。とりわけ1075年以降教皇グレゴリウス7世が世俗君主による叙任を禁じたため神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世らと激しい抗争が生じた。
→関連項目イタリアイタリア政策カノッサの屈辱ギベリン皇帝教皇主義コンコルダートザリエル朝神聖ローマ帝国聖職売買帝国教会政策ハインリヒ[5世]

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世界大百科事典 第2版の解説

じょにんけんとうそう【叙任権闘争 Investiturstreit[ドイツ]】

一般には,11世紀後半から12世紀にかけて,帝権と教権および高位聖職者の叙任(任命)権をめぐり神聖ローマ皇帝とローマ教皇との間で行われた争いを指すが,この時期の西欧諸国における聖職叙任権をめぐる争いのみを指すこともある。 教会法によれば,聖職者は当該教会の聖職者と信徒によって選ばれることを原則とする。しかし,中世初期以来世俗君主は,国家教会制,私有教会制,王権神授観念などに基づき聖職者の叙任権を握り教会を支配した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

叙任権闘争
じょにんけんとうそう

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世界大百科事典内の叙任権闘争の言及

【キリスト教】より

…そこで教皇側は教皇権至上主義を主張し,その普遍主義を各国王の分立主義に優先させる闘争を開始した。〈叙任権闘争〉と呼ばれるこの運動は,910年に建てられたクリュニー修道院に端を発する改革運動を前提とする。これは,教会と同じく社会的地位の向上した修道院内部の腐敗を〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な順守によって清め,かつ教会に対しては司祭の結婚と聖職売買(シモニア),およびドイツ王による司教と大修道院長の叙任の禁止を要求するものであった。…

【グレゴリウス[7世]】より

…73年教皇に選ばれてからは聖職売買,司祭の結婚禁止を中心とする教会改革を強力に推進したので,この前後の改革運動は彼の名にちなんでしばしば〈グレゴリウス改革〉と呼ばれる。 とくに《教皇教書(デクタトゥス・パパエ)》という27命題集が作成された75年から,俗人による聖職叙任も聖職売買に当たるとして禁止されたから,それを重要な政策としたハインリヒ4世との対決が深まり,76年皇帝は教皇の廃位を,教皇は皇帝の破門を宣言し叙任権闘争は激化した。この破門宣告による事態悪化と失脚を恐れた皇帝は,3日間雪の中にたたずんで教皇の赦免を乞わざるをえなかった。…

【コンコルダート】より

…具体的には神聖ローマ皇帝や各国の国王,元首とローマ教皇との間で,聖権と俗権との関係,教会事項に政治的権限の及ぶ範囲,国家における聖職者の地位などについての合意を内容とする。中世では1122年のウォルムスのコンコルダート(ウォルムス協約)が有名であるが,これはハインリヒ4世以来皇帝とローマ教皇との間で高位聖職者の叙任権の帰属をめぐって長期にわたって争われていた問題(叙任権闘争)が,ハインリヒ5世とカリストゥス2世との間でイボ・ド・シャルトルの理論に基づいて解決されたものである。これとほとんど同じ内容の協定は,これに先立つ1107年に教皇パスカリス2世とイギリス国王ヘンリー1世との間でも締結された。…

【ザリエル朝】より

…ザクセン朝断絶のあと,マインツ大司教アリボの支持により国王に選ばれた。 ザリエル朝の統治は,叙任権闘争(1075‐1122)を境に前期と後期に分かれる。前期の政策は,教会勢力と結んで,大公権力の自立化を抑え,国家統一をはかる,前王朝の帝国教会政策を基本的に継承したものであり,特にハインリヒ3世は,修道院改革運動を保護,奨励し,教皇権の強化にも力を貸し,教皇との提携のもとに神聖ローマ帝国の最盛期を実現した。…

【政教分離】より


[歴史]
 ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である。 中世世界においては,国家と宗教(キリスト教)の区別は未知の事柄であった。…

【ドイツ】より

… カール大帝の帝国は現在のドイツ,フランス,イタリアにわたる広大なものであり,カール大帝の死後843年のベルダン条約と870年のメルセン条約で東フランク,西フランク,イタリアに3分割され,そのうち東フランク王国が後のドイツの前身であるといわれてきた。しかしながらこの段階ではまだドイツ王国regnum Teutonicumの成立を語ることは難しく,11世紀初頭のとくに叙任権闘争期にはじめてドイツ王国という名称が生まれてくるといわれている。 東フランク王国においては911年にフランク族のコンラート1世が即位し,カロリング期の伝統から離れ,919年のハインリヒ1世の即位によってザクセン朝の支配がはじまった(図1)。…

※「叙任権闘争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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