日本大百科全書(ニッポニカ) 「イエズス会日本通信」の意味・わかりやすい解説
イエズス会日本通信
いえずすかいにほんつうしん
1549年(天文18)8月フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して以来、日本滞在のイエズス会士たちが随時ローマの総会長、インド管区長、あるいは日本、インド、ポルトガル、イタリアなどの会友にしたためた書簡、報告書。総会長は、全会員の仕事を円滑に運営し、会員の適切な指導のために必要な知識を得ねばならなかった。1573年の第三総会議において「諸書簡作成上の規定」が定められ、それは次の三つの目的を有していた。(1)上長のための必要な情報、(2)各地に散在する会員の一致団結、(3)読者への感化、であった。
東洋から彼らが送った書簡は、ヨーロッパ人にとってきわめて興味深い情報に満ちていたので、多くは各国語に翻訳出版され、会員の間に東洋布教熱を呼び起こし、ヨーロッパ文化にも多大な影響を与えた。1598年ポルトガルのエボラにおいて『イエズス会士日本通信』が刊行された。この私的な通信は、その重要性のために1579年(天正7)より巡察師バリニャーノによって「イエズス会日本年報」の制度に発展させられた。すなわち、毎年1回、日本における最高責任者たる布教長または管区長が、日本全域にわたる詳細な情報を一定の形式に従ってまとめた年度報告書である。
[宮崎賢太郎]
『村上直次郎訳、柳谷武夫編『新異国叢書1・2 イエズス会士日本通信 上下』(1968、1969・雄松堂書店)』